2024年の世界経済とストレージ・HDDの業界展望

IDEMA JAPAN個人会員
HORI Technology Office
ストレージアナリスト 堀内義章

  本資料は、筆者が毎年、コンピュータ業界のIDEMA JAPANに「世界の経済状況とストレージ・HDDの業界展望」(3月11日提出)を書いているものの転載で内容は少し状況が変わっているところもあるが、そのまま転載します。特にウクライナ侵攻やイスラエル戦争はいまだに続いており、注目は11月5日の米国の大統領選挙であろう。バイデン大統領に代わってハリス氏(現副大統領)が出馬し、どちらか勝つかによっては、また世界を揺るがしかねないので、世界経済と合わせて注目に値する。また日本は、岸田首相が総裁選挙に出馬しないことを表明しているので、日本も首相が変わることになる。ストレージ業界は、益々増える情報量に対して、サーバーやデータセンターにHDDは情報の蓄積として必須となっているが、米オープンAI の「Chat(チャット)GPT」の出現によりそれを用いる電力使用量の増大でその対処方法も重要なってきている(2024年8月28日追記)。
1 はじめに*1)*2)
今年は、昇龍年と言われているにも関わらず、新年早々から日航機衝突による炎上事故や石川地震が発生し、地震は道路の寸断や破壊の凄さからいまだに、まだ被災地にボランティアが入りにくいような状況が続き復興が遅れている。その一方で、世界はこの2月24日で丸2年になるロシアのウクライナ侵攻戦争や昨年(10月7日)にはハマスとイスラエルの戦争が発生し、いまだに続いている。2023年は世界の紛争は183カ所に上るとの事だが、戦争は、すべてを根底から破壊するので、多くの民間人の死者と復興に時間とお金がかかり(ウクライナ復興には10年で4860億㌦<約72.8兆円>の財源が必要とされている)、いい加減に、お互いが腹を割って話し、妥協してもらいたいものである。また多くの罪もない一般市民や子供たちが多くなく亡くなっていて、その悲惨さを痛感する。特に今年は世界の選挙イヤーと言われ、大きな選挙を含めて70以上の国政選挙があり、その中でも、ロシアの大統領選(プーチン氏再選)が3月15~17日、インドの総選挙(モディ首相再選)が4~5月に、米国の大統領選挙が11月5日に行われるので、注目に値する。CO2による地球温暖化などは、世界で取り組まなくてはいけない問題が多く、主義主張で意地を張る所ではないと思われる。世界は権威主義と自由経済主義、その中間のインドを中心にしたグローバルサウスに分かれており、お互いに妥協点を見つけてもらいたいと念願している。なお、現状では自由主義と権威主義の比率は、表1のようになっており、人口で行くと権威主義の方が圧倒的に多くなっていて、GDPでも接近してきている。

表1 民主主義が権威主義に押されそうだ(スウェーデンの調査期間V-Dem、英誌エコノミストなど、2024年1月4日 日本経済新聞)

民主主義陣営 権威主義陣営
米国、日本、EU等 主たる国 中国、ロシア等
90 国・地域数 89
29 人口比率(%) 72
54 GDP比率(%) 46

また今年のユーラシアグループが予測する世界10大リスクを下記に示す。いずれも可能性がある項目が多いのは心配の種。
ユーラシアグループが予測する世界10大リスク
1位 米国の分断          6位 経済を回復できない中国
2位 瀬戸際の外交         7位 重要鉱物の争奪
3位 ウクライナの事実上の割譲   8位 インフレの足かせ
4位 AIのガバナンス欠如 9位 エルニーニョ再来
5位 ならず者国家の枢軸      10位 米国でリスキーなビジネス
一方で、国内では国会議員の政治パーティの収支報告書の問題で、論議を呼んでいるが、今や、米国の好調と中国の不動産問題による経済の不調から、日本の株価が1990年来の最高値となり、一見、好調の様に見えるが、実態は、「少子高齢化」「賃金が上がらない」「GDPは、ドイツに抜かれ4位」「人口減少」「人材育成」「スタートアップ企業の少なさ」「女性の地位の低さ」「働く女性への支援不足」「女性天皇の検討」「中小企業の後継者不足」など多くの問題を抱えており、むしろこれらの問題に早期に対応してほしい。
ストレージ世界では、パソコンの飽和感、DX(デジタル・トランスフォーメーション)化の遅れ、メモリは大分回復していきたが、低迷し、一方では、「ChatGTP」の半導体を制したエヌビディアが独り勝ちみたいになり、今後はChatGTPを制した企業が、飛躍する構図になってきている。幸いに、日本は熊本に台湾のTSMCを中心とした半導体基地を作り、国も相当の支援をして半導体の復興を願っている。また、情報量は益々増大の一途をたどり、そのためのHDDを中心としたサーバーは必要不可欠になるので、HDDとしては、大容量化の要望がそうとう強なっている。その意味では、HDDの面記録密度の高密度化が増々必須となってくる。これらを含めて、今年世界経済とストレージ業界の動向を展望してみる。
2 世界経済と日本の動き
2-1 世界経済動向
ロシアのウクライナの侵攻が2年も続き、またイスラエルとハマスの戦争が昨年勃発し、これも続いて、更にエネルギーや穀物輸送に大きな影響を及ぼしている。また、不良債権問題で、中国の経済が空回りし、低成長化しており、さらに昨年人口もインドに抜かれ、中国の苦境が肥大化している。この3月から始まる全人代会議でどのような対策が盛り込まれるか注目に値する。さらに、世界は、権威主義と自由主義、その中間のグローバサウスと呼ばれるエリアに色分けされており、それぞれの分断が深刻化しようとしている。そして人口からしたら、権威主義やグローバサウスの方が多く、自由主義の危機でもある(表1)。また前書きでも述べたように、今年は世界の選挙イヤーで、特に大国のインドやロシア、米国の大統領選挙があり、今後の世界経済に大きく影響を及ぼす。米国は、バイデン大統領の再選か、トランプ氏の返り咲きかで、大きく世界の動向が変わってくるので、特に11月5日の米国大統領選挙には注目に値する。その意味では、人口世界一になり、中間を進むインドのモディ首相の今後が注目に値する。同首相は、グローバルサウスのリーダーとして、自由主義にも権威主義にも顔を出しており、経済成長でもインドが断トツの成長率を示している。その状態を表2、表3に示す。表2は世界の主要国の表示では1月時点で古いか、全体を表すのにはこの表が、一番分かり易いので、採用した。表3には、東南アジア6カ国の実質GDPの予測を示している。アジアの成長が、大きいことが分かる。
今後の焦点は、以下のことが上げられる

  1. ロシアのウクライナ侵攻の決着がつく時期
  2. イスラエルとハマスの戦争がどこで決着がつき、中東の戦争拡大が抑えられるか
  3. 米国大統領選挙の行方
  4. 地球温暖化は待ったなしで、世界が協調してCO2排出にストップがかけられるか
  5. 人口増加と人口減少の国との対応策
  6. 民主主義、権威主義、グローバルサウスのような中間主義とのバランス
  7. 人工知能(AI)のChatGTPの今後の活用
  8. インドがグローバルサウスの名手として指導力が発揮できるか、またサプラチェーン受け皿になれるか
  9. 国連改革と機能の回復

表2 2024年の成長率は低い水準に(2024年1月10日 日本経済新聞)

国・地域 2024年(2023/6との比較、%) 2025年(2023/6との比較、%)
世界 2.6(0.5) 2.4(-)
先進国 1.5(0.8) 1.2(-)
米国 2.5(1.4) 1.6(0.8)
ユーロ圏 0.4(-) 0.7(▲0.6)
日本 1.8(1.0) 0.9(0.2)
新興・途上国 4.0(-) 3.9(-)
中国 5.2(▲0.4) 4.5(▲0.1)
インド 6.3(-) 6.4(-)

表3 東南アジア6カ国の実質GDP(各国当局まとめ、2024年2月20日 日本経済新聞)

2022年(%) 2023年(%) 2024年予想(%)
フィリッピン 7.6 5.6 6.5~7.5
ベトナム 8.0 5.05 6~6.5
インドネシア 5.31 5.05 4.7~5.5
マレーシア 8.7 3.7 4~5
タイ 2.5 1.9 2.2~3.2
シンガポール 3.8 1.1 1~3

2-2 日本経済動向
日本経済は、半導体投資が活発となり、3月4日には株価が初めて4万円台に乗せ、バブル期を超え大いに賑わっているが(3月11日の終値は反落し、3万8,820円49銭)で、実態は、それに伴っていないのが現状である。円安、貿易赤字、出生率の低下で、人口減少が深刻化しているし、女性の地位の世界ランキングの低迷、各地域の過疎化、更には毎年起こる災害など抱える問題は多い。特に今回は、政治パーティの資金の流れが不透明で、野党も国民も疑念を抱いている。また、人材育成は、遅れており、スタートアップの起業率が低いのも、企業のトップがまだトヨタ自動車が走っているように、企業に新陳代謝がなされてなく、是非大学や企業在籍者でもスタートアップ企業の設立への志向を強めて欲しい。人口が減少し、企業の後継者が減少している現状、日本は10年企業が2万社以上あることを考えれば、将来見越した起業家の育成が重要であろう。今後、日本の企業永続のためにも技術者と人材育成へ力点を置いてほしいと願っている。
3 ストレージ業界の大きな変化
3-1 ストレージ
今後情報は一段と増加の一途をたどっており、その情報の保管方法は、表2に示すように、用途に応じて活用されている(HDD、フラッシュメモリ、光、磁気テープ)。一時は、どれかに統一されるのではないかと思われたが、用途に応じて、メーカーとそれぞれの制約でアーカイブを行っており、そのシステムを作るとなかなか変えにくい。また、お互い企業間で互換を持つ必要もないので、このまま用途に応じたアーカイブ行われるものと思われる。なお、表4には各種ストレージの特徴を、表5には各種ストレージの容量と進化を示している。この中で、古来からある磁気テープが、しっかりとした容量ターゲットを持って、年々着実に容量を伸ばしているのは、注目に値する。

表4 各種ストレージの特徴

媒体名 記録容量 価格 応答速度 寿命
HDD
フラッシュメモリ
磁気テープ ×

表5 各種ストレージの容量比較

ストレージの種類 現状(枚) 発表または予定 今後のターゲット
HDD 3.5型ディスク 2.5 TB 3/4 TB 5TB
2.5型ディスク 750 GB 1 TB 2 TB
光(BD) 5型ディスク 100/200/500GB/枚 1 TB(多層膜) 2 TB
NAND型3次元 NAND型3次元 64/128/256/512GB/1TB/4TB/5TB/8TB/16TB/32TB 多値 3~4ビット 128TB
SSD型3次元 128/256/512GB/1TB/4TB/5TB/8TB/16/32TB 多値、3~4ビット 128TB
MRAM型(SSD) 4GB
磁気テープ LTO9 18TB(非圧縮)/45TB (圧縮) LTO9/10/11/12(36/72/144TB)(非圧縮) 220 /330/400 TB

4 HDD業界とメモリの業界の動向

4-1 HDD業界動向

HDD業界は、ドライブメーカーとして大手3社で、推移しており、ドライブメーカーで主要部品の磁気ヘッド、メディアまで内製しているのは、Seagate TchchnologyとWD(Western Digital)であり、東芝はどちらも外部購入である。ただ東芝は、磁気ヘッドの開発は継続しており、メディアの開発生産をしている昭和電工、磁気ヘッドの東芝と組んで、高性能化の開発を行っており、開発後は生産委託をしている。また、パソコンのDynabookはシャープに売却して、会社名もDynabookとしてシャープが管理している。ただ、東芝は、不祥事により色々と株主間でのやり取りで、上場を昨年12月20日に廃止している。一時は、キオクシアとWDが一緒になるのではないかと話もあったが、結果的には、成立していない。表6には、HDDと部品メーカー状況を示す。

表6 HDDと主要部品メーカー

HDDと主要部品   会社名
     HDD Seagate、Western Digital(HGST)、東芝
ヘッド 専業 1社 TDK
内製 2社 Seagate、Western Digital(HGST)
メディア 専業 2社 昭和電工
内製 2社 Seagate、Western Digital(HGST)
サブ基板 アルミ 6社 Seagate、Western Digital(HGST)、昭和電工、東洋鋼鈑、Kaifa、ウエカツ工業
ブランク材 アルミ 2社 古河電工、神戸製鋼所
ガラス 1社 HOYA
 スピンドルモーター 2社 日本電産、ミネベア
   サスペンション 3社 ニッパツ、TDK、サンコール

米調査会社IDCによると、2023年の世界パソコン出荷台数(速報値)が前年比13.9%減の2億5950万台だったと発表した。2年連続で減少で、ほぼパソコンは、先進国では行き渡っており、新しい国での拡販に期待がかる。最近は各社が人工知能(AI)半導体を搭載した新型パソコンを投入し、今後の市場を回復しようとしている。その1番手がDynabookで、他社に先駆けAI専用エンジンを搭載、快適なエッジAI処理を実現する「dynabook R9」(29万円台<税込み>)を商品化、4月下旬に発売。また、パソコンメーカーのVAIOは開発人材2割増 2025年めど PC市場見据えている。さらに富士通がハード専業の新会社設立、サーバーやストレージ開発販売 「エフサステクノロジーズ」4月発足した。AI搭載のパソコンは、今後のパソコン市場を活性化するか、今後をみたい。ただ、パソコンは殆どが半導体のSSDを使用しており、HDDは勢い大容量の方向になり、サーバーや外付けHDD、監視カメラ、コピー機等の搭載になる。さらにアップルは新型半導体「M3」を搭載したノートパソコン「MacBook Air」を3月8日に発売すると発表(2024年3月5日 日本経済新聞)。海外では台湾PC大手2社(大手の宏碁<エイサー>と華碩電脳<エイスース>)はインドで増産して輸入規制に対応。インド政府が国内ハイテク産業の育成のため、輸入規制の強化を検討していることが背景。背景にあるのは、インドの製造業における政策転換だ。また、サプラチェーンの問題から中国からベトナムやインドへ生産拠点が移されつつある。
さらに次世代の高速計算機、量子コンピュータの商用化に向けて国内の産学が2024年度に新会社を立ち上げる(2024年2月24日 日本経済新聞)。産業界からは富士通や日立製作所、NECなど約10社が参画し、30年度までに新しい方式の高性能商用機の実現をめざす日本政策投資銀行や富士通、日立、NEC、浜松ホトニクスなど約10社が参画する。

表7 量子コンピュータで有力視される2方式

超電導方式 冷却原子方式
極低温で電気抵抗をなくした超電導の回路で計算 技術の概要 原子1個1個を「量子ビット」として操作し計算
米グーグル、米IBM、理化学研究所 主な開発企業・組織 分子科学研究所、米ハーバード大学
多くの企業が将来の活用に向け研究に利用 開発の状況 急速に研究が進展。量子ビットの安定性などが長所

量子コンピュータ開発の主な経緯(2024年2月27日 日本経済新聞)
・1999年:NECが超電導方式の基本素子となる量子ビットを実現
・2016年:米IBMが超電導量子コンピュータをクラウドで公開
・2019年:米グーグルが超電導方式で「量子超越」を達成
・2022年:分子科学研究所が冷却原子方式で超高速の基本演算を実証
・2023年:理化学研究所が超電導方式で「国産初号機」を稼働
・2024年:分子研や日本企業約20社が冷却原子方式の新会社設立へ
ただ最近は、サーバー系やAIを用いると消費電力の更なる増加するのが問題視され、如何に消費電力を抑えるサーバーを製作するかがカギになる。最近は消費電量の少ない培養脳のコンピュータで、神経細胞使い音声認識、省エネで電力問題に対応する研究がなされている。(2024年2月9日 日本経済新聞)。米インディアナ大学ブルーミントン校などは、人の幹細胞から作った神経細胞を集積した「培養脳」を用いて簡易なコンピュータを開発した。従来のコンピュータより少ない電力で計算できると期待される。実用化できれば、電力消費の拡大に対応する手段の一つとなる。
〇従来コンピュータとの違い
・メリット :「少ないエネルギーで学習」「学習速度が速い」
・デメリット:「細胞が生きている時間しか使えない」
〇将来は・・・・薬の効果判定などに活用期待
〇主なバイオコンピューティングの研究
・米インデアナ大学ブルーミント校:人のES細胞から作った脳オルガノイドを使い、2日間の訓練で、8人の音声を80%の確率で区別できるように
・東北大など:ラットの脳の神経細胞を基板上に培養し、「ゼロ」と「イチ」の発音を80%の精度で区別できるように
・豪コーティカル‣ラプス:人の幹細胞とマウス由来の脳の神経細胞を活用し、単純なコンピュータゲームができるように。創薬へ応用目指す

4-1-1 面記録密度
面記録密度は、色んな記録方式付加することによって少しは前進しているが、大幅な進展が見られていない。現在有力視されているHAMR(Heat Assisted Magnetic Recording)は、中々レーザー光の熱安定性から一部しか量産に投入されていなかったが、今回、ソニーのレーザーピックアップ(ナノフォトニックレーザー)を用いて、スポット径を小さくでき、容量アップし、更に媒体に超格子白金媒体(Fe-Pt)を用いて、格段に媒体の高抗磁力をアップし、さらに第7世代スピントロニクスリーダー、コントローラの組み合わせで容量アップする原動力になっている(2024年2月16日 日本経済新聞)。これは、昨年の11月の放送機器展(InterBEE)で展示されたSeagateからの説明で、問題は一応解決し、25TB、30TBなどが可能になったと聞かされていた。面記録密度は、各社とも発表されていないが、推定では現状で1.3Tbps2と思われる。また、MAMR(Magnetic Assisted Magnetic Recording)も研究開発が進められているが、高容量化の観点から見るとHAMRの方が、有利とみられている。図1には各種記録方式による面記録密度のトレンドを示す。

図1 各種方式による面記録密度のトレンド*3)

4-2 メモリ業界動向
メモリ業界の進展も著しく、パソコンは殆どがメモリであるSSD(256GB)に代わっている。ただ、大容量となるとやはり価格面での対応が、難しいようである。図2にSSDとHDDのGB当たりの価格比を示す。現状では6倍以上の差があり、直ぐに追い付くのは難しいようである。特に、これは平均だが、容量が大きくなればなるほど厳しくなる。一方で、メモリの高容量化は目覚ましく、多層タイプ(256層や300層以上)が順次出てきており、またビット数も3ビット、4ビットと発展している。またウエハーの大きさも200㎜から300㎜へとの移管の過程にあり、まだまだ価格が下げる手立ては、残っている。ただ、メモリ業界も在庫を多く抱えていたが、ようやくその目途も付き、今年後半からは徐々に回復して、行くと思われる。特にエヌビディアは、いち早くChatGTPの半導体を先行したために、好調な業績を残している。今後、ますますChatGTPの活用が活発化すると思われるのでその動向には注目に値する。

図2 HDDとSSDの価格差の推移(*4)

また、メモリカードでは、キオクシアが大容量2TBのmicroSDXCメモリカードを量産・発売(2023年12月25日 電波新聞)。世界中が国の産業として半導体を上げ、米国、欧州、日本などが半導体投資に盛んである。特に人口知能(AI)のCHatGTPが出現してからは、そのブームとなり表8に示すように各国の半導体投資には多額の金額が計上されている。また、

表8 各国での主な半導体投資計画(各社の発表から電波新聞がまとめ、2024年1月16日 電波新聞)

企業名 国・州 投資額(㌦/ユーロなど) 概要
米国
マイクロン・テクノロジー ニューヨーク 最大で1,000億㌦ メモリ工場
アイダホ 150億㌦ メモリ工場
インテル オハイオ 初期投資200億㌦以上 CPU、ファンドリなど
アリゾナ 最大300億㌦ 最先端半導体
オレゴン 数十億㌦ 研究開発施設拡充
IBM ニューヨーク 200億㌦ 量子コンピュータや半導体
TI テキサス 300億㌦ 300㎜半導体
グローバルファウンドリーズ(GF) ニューヨーク 10億㌦ 工場増設や新棟など
スカイウオーター・テクノロジー ミネソタ 米商務省やグーグルが支援 チップ
Samsung電子(韓) テキサス 170億㌦ 最先端ロジック
TSMC(台) アリゾナ 400億㌦ 4nmや3nm
グr-バルウエーハズ テキサス 50億㌦ 最先端300㎜ウエハー
アプライドマテリアルズ カリフォルニア 数十億㌦以上 R&Dなど
NY州、IBM、東京エレクトロン等 ニューヨーク 100億㌦ 次世代半導体開発
アナログ・デバイセズ オレゴン 10億㌦以上 ウエハー工場拡張
欧州
インテル ドイツ 300億ユーロ(170億ユーロから増額) 最先端チップやファウンドリ―
アイルランド 120ユーロ 新棟建設
ポーランド 46億㌦ 新棟建設
ボッシュ(独) ドイツ 30億ユーロ 研究開発拠点、増産など
STマイクロエレクトロニクス イタリア 7.3億ユーロ 半導体基板工場
STとGF フランス 57億ユーロ(推定) 300㎜ウエハー対応
インフィニオン ドイツ 50億ユーロ 300㎜ウエハー対応
ウルフスピード(米) ドイツ 30億㌦ SiC半導体やR&D
AMD(米) アイルランド 135億ユーロ 次世代AIなど
アナログ・デバイセズ アイルランド 約7.3億ユーロ ウエハー生産
その他
インテル イスラエル 250億㌦(推定) 半導体工場
マレーシア 70億㌦以上 後工程
マイクロン インド 27.5億㌦ 組み立てやテスト
Samsung電子 韓国 300兆㌆(約31兆円) 先端半導体
TI マレーシア 最大146億リンギット(約4,500億円) 組み立て・検査工程
インフィニオン マレーシア 70億ユーロ SiC半導体
AMD インド 4億㌦ 設計センターなど

主導権を握っているのは、台湾のTSMCで、世界各地に投資をしている。特に2nm以下を製作するのに、1台3億8000万㌦、重量は150㌧(高NA)EUV露光装置のスケールが装置として必要になる(*5)。2nm以下ノードの微細プロセス実現に向けて期待されている高NA(開口数)EUV(極端紫外線)露光装置のプロトタイプ「TWINSCAN EXE:5000」の初号機が、昨年末、ASML(オランダ)からIntelへ出荷されている。
日本も熊本で開設中のTSMCの半導体製造工場への投資やラピダスの各地域の工場などにも多くの補助金が国から出されている。特にAIの半導体で先行した米国のエヌビディアがシェアの8割を握っている。今後は、AIを用いた半導体がさらに活況を制するものと思われる。
4-3 HDDとメモリの今後の展開
HDDもSSDもそれぞれに特徴があり、特にSSDは比較的容量が小さくて即応性が必要な場合に、HDDは大容量で永久保存的なデータのアーカイブに用いられる傾向にある。ドイツの調査会社スタティスタは世界のデータ生成量が2025年に181ZBになると言われており、情報量の増加はうなぎのぼりで無限に広がると言ってよい。その意味でアーカイブは重要な役割を持つ。図3は世界のモバイルネットワークデータトラフィックの例を示している。

図3 世界のモバイルネットワークのトラフィック(EB/月)(2024年1月24日 電波新聞)

HDDは一時は6億5千万台生産されたこともあるが、現在はパソコンが殆どSSDに置き換わり、高容量やサーバー、外付けHDD、監視カメラ、コピー機、アーカイブ用に用いられている。昨年(2023年)のHDDの生産量はテクノ・システム・リサーチの資料によると1億2,230万台(前年比29%減)と大幅に減少し、これはコロナ感染の影響もあるが2024年度は1億2,150万台(同0.6%減)の微減にとどまると予想されている。この年を底に、さらに2025年には1億2900万台(同6.2%増)と増加が見込まれている。その要因は、サーバー系や監視カメラ、外付けHDDの増加が期待されている点にある。そのHDDとSSDの出荷推移を図4に示す。一方、SSDの方は、2023年は、3億1,980万台(前年比8.2%減)、2024年の予測は3億5,130万台(同9.9%増)を予想している。2023年がHDDとSSD共に減少しているのはコロナ感染の影響で消費や投資がストップしたためと思われる。図5はHDDとSDDの㌦/GBの価格推移を、またHDDとSSDの生産容量の推移を図4に示す。出荷台数は圧倒的にSSDが多いが、容量でみると逆にHDDの方が大幅に増加している。

図4 HDDとSSDの生産実績と今後の予想*4)

図5 HDDとSSDの年度別の価格推移(㌦/GB)*4)

図6 HDDとSSDの出荷容量推移*4)

5 今後の期待される分野
前述のごとく、数量の多いパソコンはSSDへ変わっていったが、大容量はサーバーを含めてHDDであり、今後は、まだパソコンが行き届いていない国の開拓や、製品では前から述べているホームサーバー(10TB)が普及してもいいのではないかと思われる。世界には約10億世帯があるので、1%でも1億台の大容量の市場が開拓できる。また年々増える情報量には、データセンターの増設は必須で、遅延を含めるとできるだけ使用近辺にデータセンターがあるのが望ましく、日本でも東京、大阪の集中から地方へのデータセンターの分散が始まっている。資料は古いがデータセンターレポート(株)日本政策の2021年11月レポートでは、世界には8,153棟のデータセンターがあると報告されている。いずれにしろ、無限に生じる大容量の情報保存にはHDDが必須と思われ、特に世界各地にデータセンターの建設が必須となるので、そのためのHDDの大容量は重要な技術開発のポイントになる。

6 まとめと今後の展開
世界は、とにかく大きく3つの点、すなわち「ウクライナへのロシア侵攻の終結」「イスラエルとハマスの戦争の終結」、そして「気候変動に関する世界共通の地球温暖化の原因のCO2の削減」を、世界の国々が、足並みを同じ方向へ揃える必要がある。そして自由主義や権威主義にとらわれず、お互いが徹底した話し合いで、解決し、国連が機能する世界に持っていく必要がある。また今年は、多くの重要な選挙があるが、その中でも11月5日の米国の大統領選挙には、世界の方向が逆転する可能性があるので注目に値する。一方、日本は、政治パーティの政治資金の使い道と報告に不透明感があり、連日、国会で追及されているが、ピリッとしない。日本には多くの問題を抱えているおり、特に「経済政策」「少子高齢化による人口減少問題」「女性の地位向上」、もっとも大きいのは、「日本の将来ビジョン」が示されていないところにある。中国の全人代の5ヵ年計画の様に、日本も少なくとも20、30年後の日本が、技術面、人材面、人口面、産業面、各都市の姿や産業などの方向性を示すべきである。その為には、カリスマ的に人材の育成が重要と思われる。
一方、ストレージの面では、AI(人工知能)ブームで、半導体を中心とした世界の動きの中で、日本も遅まきながら政府が台湾のTSMCの日本工場建設に伴い大幅な補助金をだして、日本の半導体の強みを発揮できる環境を整えている。ただ、HDDに関しては、数量の出るパソコンがSSDに置き代わったが、大容量のアーカイブのためにはデータセンターを中心にした大容量のHDDが必要であり、今後は面記録密度の向上とディスク1枚当たりの容量を2.5TBから、3TB、4TB、5TBと上げて行き、ディスク10枚で30TB、40TB、50TBの容量が実現できるような技術開発が早急に望まれる。HDDの台数は、昨年(2023年)は1億2,230万台(前年比29%減)と大幅に減少したが、2024年度は1億2,150万台(同0.6%減)の微減にとどまると予想されている*)。この年を底に、さらに2025年には1億2900万台(同6.2%増)と増加が見込んでいる。今後の情報量の増大に対しては大容量のHDDは必須と思われる。HDDなくしては、世界の情報は蓄えられないと思われるので、もうひと頑張り技術開発者に技術力を示して欲しいと期待する次第だ(作成2024年3月11日)。

参考資料
*1)「2022年のコロナ感染と共存した世界経済とストレージ・HDD業界展望」(2022年2月8日 堀内義章)
*2)「新春・2023年の世界経済とストレージ・HDDの業界展望」(2023年3月16日 堀内義章)
*3)2023年のSRCの面記録密度のトレンド
*4) 2024年3月 テクノ・システム・リサーチ資料
*5)2024年2月25日 EE Times

堀内義章
1941年8月25日生まれ、東京生まれの九州育ち(福岡・飯塚)。1965年大阪工業大学卒、日本大学大学院国際情報研究科修士修了(2004年)。三洋電機(株)中央研究所入社。主に、フェライトの多結晶・単結晶の開発導入、VTR用磁気ヘッドの開発・生産導入、HDD用MIIGヘッド、ベータ・VHS用ヘッド、8ミリ用磁気ヘッド、ベータ・VKS・8ミリ用磁気ドラム開発生産導入、以降営業部にてマーケティング、2001年定年退職後、個人事務所「HORI Technology Office」設立。マーケティングを中心に各種レポート発表中。専門は磁気記録(VTRヘッド、ドラム、HDDヘッドマーケティング)。(一社)南太平洋協会・副代表理事長、日本旅のペンクラブ会員(元理事)、IDEMA JAPAN・会員(元理事)、(一社)災害復旧支援ダッシュ隊・会員、民博パートナーズ(MMP)会員、楽酒の会世話人

H29年 (2017年)卒のOB短信

電気電子工学専攻を2019年に卒業後、ローム(株)に入社した池 広大と申します。2023年から電子クラブ幹事に任命いただきましたので、今後とも何卒よろしくお願いいたします。この度、OB短信を執筆する機会をいただいたので、自己紹介も兼ねて私の在学時代を振り返りたいと思います。

私は学部4年生までは平凡な学生生活を送っていましたが、当時の小池 一歩先生(現学科長)、矢野 満明先生(現名誉教授)の研究内容に大変興味を持ったことをきっかけに大学院進学を志していました。ところが、そのとき交際していた現妻と突然にも子供を授かることとなり、学生結婚を果たしてあっという間に1児の父親となってしまいました。当然、家族を養うために進学は諦めることになると思われましたが、私はどうしても進学を諦めきれませんでした。そこで、子を持ちながら学生でいさせて欲しいという我がままを妻と義両親に聞き入れてもらうため、出来るかもわからない誓いを立ててしまいました。その誓いとは、大学院で成果を挙げ奨学金の返還免除を受けることと、大企業に就職することです。これで、なんとか進学を許してもらえたのですが、今度は妻子ができたことを研究室の矢野先生、小池先生にお伝えする必要がありました。しかし、私はまだ学生で考えが浅かったので、先生方に怒られて進学を取り消されるのではないかという思い込みをしてしまい、大学院入学までの1年間は内緒にしてしまおうと心に決めました。隠し通すのはかなり難しく、特に実家から妻が産気づいたと連絡が来たときには、先生方にバレてしまうのでゼミを抜け出せず、危うく出産に立ち会えないところでした。結局、入学の直前に先生方に打ち明けた際には怒られるどころか大変ご祝福いただいたので、子供ができたくらいで進学を取り消すような鬼のような先生方だと思い込んでいたことを深く反省することとなりました。

進学後はD科の他の先生方にも私が妻子持ちの大学院生であることが広まっていきました。当時、副学長(現名誉教授)の小寺 正敏先生の大学院の授業で超音波エコーに関する調査報告をしたときには、妻のお腹にいる長女のエコー映像をプレゼンで使用し、小寺先生が目を丸くされていたことをよく覚えています。そこから色々な先生方に伝わって、他の先生方からも励ましのお言葉をかけていただくようになりました。今になって思い返せば、お子様がおられる先生方が多いので子育ての大変さや楽しみを理解いただきながら接してくださっていたということを痛感しています。また、私が先生方に相談事があると言うと「まさか2人目が産まれるのか!?」とイジられることも定番のネタになっていましたが、大学院2年の後半には本当に長男を授かり、2児の父親となりました。

このような大学生活でしたが、特に研究室の小池先生方と矢野先生には非常にお世話になり、私もなるべく妻子がいることを言い訳にせず研究に励むことができました。また、妻が社会人として自立していたので私は朝から夜遅くまで研究に没頭できました。そのお陰で、応用物理学会や日本材料学会といった著名な学会で賞を与る成果をあげることができ、奨学金の返還免除も受けることができました。このバックグラウンドが就活にも生かされ、第1志望のローム(株)にもすんなり入社できました。奇跡的に当初立てた2つの誓いは果たされたわけですが、家族や先生方の支えがなければ到底達成できなかったと思います。

さて、月日は早いもので、だらしなかった学生の私をここまで成長させてくれたきっかけとなった長女はもう小学1年生、長男は4歳になりました。私は入社5年目となり、かなり責任のある仕事も任せてもらえるようになりました。当然、成果を上げなければならないプレッシャーや上手くいかないストレスにも直面しますが、進学前に子供ができたあのどうしようもない局面に比べれば幾分かマシに思えてきます。昨今は晩婚化し、20歳近く年上の先輩社員のお子さんが私の子どもよりも年下ということも珍しくありません。それに比べれば、まだまだ手がかかるとはいえ、私が働き盛りの時期に子供がある程度成長していることは大きなメリットになっています。

この度、学生時代を振り返って思ったことは、何かの出来事をきっかけに人生計画が破綻したように見えても、実は人生は不思議なバランスを保っていて、耐え忍べば案外うまくいくこともあるということです。それを教訓にして、私は困難に直面したとしても、それは成長や新しい出会いに繋がるではないかとポジティブに捉えて立ち向かうことができています。このような経験をさせてくださった先生方と家族に改めて感謝したいと思います。

H27年 (2015年)卒のOB短信

電気電子工学専攻を2017年に卒業した宮下悠生と申します。

大学院を卒業してから早7年が経過しました。

私は、5年目に一度転職して現在はエーピーコミュニケーションズ株式会社(https://www.ap-com.co.jp/)という東京のシステムインテグレータの会社にいます。会社としては、ITインフラ自動化やパブリッククラウドに強く、社員がほとんどエンジニアで構成されているエンジニアファーストな会社です。東京の会社ですがテレワークメインの会社で今でも東京の自宅から完全テレワークで業務しています。チームには九州や北陸の地方の人もテレワークで参加しており働き方が変わってきたなと感じます。最近では、「手のひらネットワーク機器」というネットワーク機器をミニチュア化したカプセルトイを企画・監修してTwitterで話題になっていたりしています。

私の業務としては、ネットワーク自動化の部署に所属しており、プロジェクトリーダとして案件に携わっています。主にAnsibleという構成管理ツールと他のアプリケーションを組み合わせて顧客の運用・構築周りの課題を解決しています。ベンダー問わずネットワーク機器やサーバの設計・構築を行ったり、スクリプトを書くのがメインですが最近はWBSとにらめっこすることが多いです。

WBSはプロジェクト全体を細かな作業に分割し、複数人で役割分担した進捗や実績を管理できるようにするものです。例えば、アプリケーションを作るとなると設計、構築、試験の工程があり、その中でもさらに「画面を作る」、「○○の部分のプログラミングをする」のように具体的なレベルまで落とし込むことができます。このように、分割していくことでやるべきことを明確にして、正確な工数を積算することができます。例えば、アプリケーションを作るとなったときに大きくはサーバを作る工程とアプリケーションを作る工程があり、その中でもさらにタスクがあります。それらを円滑に進めるようにWBSを使ってスケジュールを組んでいます。

また、プロフェッショナル職というブログや外部登壇などのアウトプットも評価される仕組みがあり、私も最近書籍への寄稿や客先・OSS(オープンソースソフトウェア)コミュニティの勉強会に登壇しています。OSSはソースコードが自由に公開され、無償で利用できるソフトウェアのことです。私は、その中の業務でも利用しているAnsibleやNetBoxといったIT自動化に関係するソフトウェアに関わっています。私自身、プログラミングが好きで趣味で簡易Webアプリを開発したり、OSSをいじったりしているのでそういった活動が評価される今の会社にはとても満足しています。

その中で感じるのは、在学時に学会発表や論文作成を学んでいてよかったということです。もともと文章を書くことや人前で発表することは得意ではなく、発表資料を作っては毎回指摘をもらい、発表当日も空回りしてしまうことが多々あり、在学中はかなり苦労していました。社会人に入ってからも同様でしたが、数をこなしていくうちにプレゼンを行う上で次の2つが重要だと感じ意識するようにしました。

①聴講者を考えて資料構成を考えること

②質疑応答は負けない意思を持つこと

①については、聴講者が何を望んで聞いているのか?概要部分の説明だけでいいのか技術的な細かいところを説明するのか?を意識することが大事だと考えています。意識していないと、聴講者がプレゼン内容を理解できず、無駄な時間をとってしまうことになります。大学時代でも、学会発表で技術的な内容をしゃべりすぎて周りがぽかんとなってしまったことが思い出されます。また、資料構成の順序が整っていると原稿を覚えていなくてもなんとなくで伝わるのでとても重要だと感じます。

②については、私は質問をくれる人が真の聴講者だと思っており、その人が満足できればそれでプレゼンは成功だと考えています。学術発表と社会人でプレゼンの目的は違っていますが、心持ちは同じです。時にはマサカリ(厳しい質問)が飛んでくることもあります。論理武装はもちろん大事ですが、相手に押されない気持ちが大事なのだと考えています。

このようなことが重要だと感じることができたのは、研究室に入り毎年学会発表に参加させてもらい、留学・国際学会発表にも挑戦させていただいたおかげだと思います。まだまだ未熟ですが学生のときに経験した6年間は社会人になってもとても重要だと感じました。流行病も落ち着きはじめ、発表の機会が増えてきているので今後も経験を活かしていきます。

H10年卒のOB短信

H10年卒 吉田 誠

このたびOB短信を書かせていただくということで、これまでの自身の振り返りやこれからの目標を再び点検するタイミングをいただいたようで本当にありがたいです。駄文ではありますがどなたかのお役に立てましたら幸いです。

私は現在、社会人として働きつつ奈良先端科学技術大学院大学の先端科学技術研究科博士後期課程で学んでいる社会人20数年越えの学生です。

技術者としてのこれまでの取り組みや、なぜ今大学院に通っているのかなど含め報告させていただければと思います。

大学を卒業してからは、アナログ回路設計や高周波回路設計を主にやってきました。技術者として非常に恵まれたのは、当時あちこちのセミナーや講演会を聞きに行く機会をいただけたので第一線で活躍するその道の第一人者の方々とたくさん交流できたことです。

今でも年賀状のやり取りや食事など交流が続いています。その時感じたのは一流の技術者の方の多くは非常に腰が低くこちらが恐縮してしまうほど謙虚な方が多いということでした。また、好奇心もとても旺盛な方が多いように思います。

ある技術者の方とお話ししていますと「こんなことしてみたらどうだろうか」などアイデアがつぎつぎと出て「面白い面白い」とお話を伺いながら、その源は何かなとふと思いつつ伺ってみますと、専門分野に限らず、めずらしい技術や面白い発想のある技術など常に貪欲にアンテナを張っておられ、いったん抽象化して自身の分野との共通項や使える要素はないかなど考えておられるようです。

また、講演を聞いてとてもわかりやすく解説された別の技術者ですが、この方にゆっくりお話を伺ってみますと専門知識についても深く考察される時間を持たれているように感じました。講演のたとえ話などがとても分かりやすいのも色々な目線からの観察力のためなんだなと感じました。

恵まれた出会いの中、私もこんな技術者になりたいなと背中を見させていただき、アンテナを張るように心がけるのが日課になりました。先輩技術者からしたら、「まだまだ」かもしれませんが、引き続き精進しているところです。

このような前向きな方が近くにいていただいたおかげか、一念発起して電気電子部門の技術士の試験を受け2014年には資格を取得、回路の世界ではいくつか特許も取らせていただくことができ非常に充実した技術者生活でしたが、もう1歩達成したい目標がありました。それは小学校からの夢であった博士号を取ることです。

しかしいつ通うのか・・・いったん社会人を引退して大学院にとも考えましたが生活面の維持も必要ですのでいろいろと考えていたところ、会社の共同研究先の大学で社会人ドクターという道があることを知りました。

そここで人生で久しぶりの入学試験を受け2020年に合格し、入学するときにはガイダンスもあり学生時代に戻った気分を味わいました。早いものでそれから1年たち現在博士課程2年生ですが、妻や家族に協力してもらいながら研究に、論文作成にと主に土日を使って進めています。

研究内容はAIのためのセンサー回路などで、AIが識別しやすい特徴量をいかににセンサー側で持たせるかこれまで取れなかった事象をセンシングするにはどうしたらよいかなどです。回路とソフトウェアの間のような研究で回路設計とソフトウェアのコーディングと両方行っています。

ところで趣味では回路好きからこうじて半導体にも興味があるためこちらは独学ですがS・M.Szeの半導体デバイスの本や量子力学の勉強を改めて少しずつ進めていたのですがなんと入学した先端研究科は半導体をやっている学科も含まれているため、半導体の講義を聴講することもできるようでリフレッシュがてら、ものすごく得した気分で聴講もしています。ちょうどコロナ渦の影響もあり在宅で見ることもできる講義も多いため助かっています。

そんな学生生活は若い学生とも仲良くさせてもらい、幾分歳が若返ったような気になりましたが喜んでいるのもつかの間、大きな壁が待っていました。授業は博士後期課程ということでほとんどありませんが、英語が基本となっており大学時代も英語は苦手だったので非常に焦りました。今どきの英語アプリやYoutubeを活用して英語の特訓をし、なんとか「聞く」「話す」を少しずつできるようになってきたくらいのレベルです。

専門性のある英語は読み取り易き聴きやすいですので何とかなりますが、やはり語学はしっかり身に着けておかないとと実感しています。

いろいろと課題が多い学生生活ですが先日、情報処理学会の山下記念研究賞という賞をいただくことができました。本年3月受賞式もあるようで参加させていただこうと思っています。

卒業までにはまだまだ研究成果を積まないといけませんが、家族に感謝しつつ仕事と学業と家庭の両立に励み、いつか会った先輩技術者の様になれるよう貪欲に技術一直線で取り組んでいきたいと思います。

最後にこのような報告の機会をいただきありがとうございました。

山下記念研究賞

H40年卒のOB短信

近況・満80歳に思う
~筋トレとライフワーク継続で活力がみなぎる~
ストレージアナリスト 堀内義章(D40年卒)

 今年の8月25日で満80歳になる。自分自身実感はなく、ここまで生きれるとは思ってもいなく、幸い持病はあるものの、まだ週に1回テニスがやれる程度に動けていて元気で日常生活を続けている。大学を卒業して56年、会社をリタイアして20年。でも幸いにストレージの世界では、ストレージアナリストの名称で、学会への招待講演や、専門機関での年1回の「世界経済とストレージ、HDDの業界展望」を現在でも発表・継続している。ライフワークにしている専門の磁気記録を始めて56年目になる。

 振り返ってみると、入社1年目から積極的に活動を続け、その中で基本にしているのが
1)人の悪口を言わない 2)人と比較しない 3)何事にも前向き、くよくよしない
4)好奇心旺盛 5)知らない分野への挑戦 6)筋力をつけるストレッチ継続 7)読書を続ける 8)ボランティア活動 9)本音で話す 10)海外100カ国は訪問する
を基本にして、現在も積極的に進めている。今の生活ベースは
1)ライフワークである専門のストレージのマーケティング(新聞4紙<日経、朝日、電波、大阪日日>の購入と図書館へ専門2紙調査<日刊工業、日経産業>)
2)ボランティア活動(海外ボランティア・パプアニューギニア、災害復旧支援ダッシュ隊、民博ミュージアム・パートナーズ<国立民族学博物館>)
3)運動(毎朝晩の自宅での筋トレ、週1回のテニス、1日平均1万歩)
4)読書(基本は年間400冊、近くにサダ図書館)
5)海外100カ国の訪問(現在、85カ国)
6)過去の写真、年間活動ファイルの整理、手帳での年間活動記録のまとめ
7)絵画、茶道具、美術全書とうの整理と室内の不良品の破棄
8)過去に過去に書き溜めた随筆などの一括まとめ
9)遺産としての整理と、後継者への移管準備
10)一応、最低90歳、最大で100歳までのプラン
などを中心に、80歳から有終の美を飾れる店じまいの準備段階に入ろうと思っている。

 そこで、簡単に私の企業生活とリタイア後について整理してみます。

 1965年(昭和40年)に三洋電機(株)に入社、約3カ月の向上実習を終えて、中央研究所に配属された。配属先は磁性材料の研究室で、将来のVTR用材料の開発をテーマとして、先ずは、多結晶でNi-Ziフェライト、Mn-Znフェライトを開発。この時、研究室で焼成炉まで自作した。そして初めてMn-Znフェライト多結晶とセンダストを組み合わせた複合型のビデオヘッドを開発し、工業用VTRに搭載、1970年の吹田の大阪万博に出展し、無事動作した。この時、サンヨー館で人間洗濯機が出されたのは、今でも語り草になっている。7年間の研究所での開発を終え、事業部へ移管し、3年間の量産試作の後に、事業化に成功している。その後、単結晶フェライトの開発やVコード、オープンリール型VTR、ベータVTR、VHS・VTR、8ミリビデオ用の磁気ヘッドを開発・生産導入を果たした。その間にVHS用ドラムの開発、8ミリドラムの開発も行い生産に導入している。また、高周波に対応するために単結晶フェライトのギャップ付近に金属(センダスト)を付着させたMIG(メタル・イン・ギャップ)も開発し、ちょうど1990年代は、まだHDDが50MBの時代だったので、MIGでHDD用ヘッドに参入、その後、MR(Magnetic Resistance)やGMR(Giant Magnetic Resistance)に参入している。HDD関連のヘッドになるとどちらかといえば、マーケティングを中心に、対外折衝が多くなった。途中、VTRを製造している事業部から部品専用の部品事業部へ変わり、磁気ヘッド外販事業にゼロかたら着手し、多いときで市場の60%のシェアを取ったこともある。幸いに、会社にいる間は、一つの専門分野を続けられたことが、リタイア後も外部との人間関係の構築ができ、現状の続いている要因になっています。特に、IDEMA JAPAN(HDD協会)の理事を2年間(途中で三洋が、HDDヘッドからの撤退)行い、さらに現状では理事待遇で、協賛会員として理事会にも現状でも参加しています。また会社にいる間に、多くの対外人脈ができたことは、リタイア後にも大きく影響しています。

 リタイア後には、2年目に個人事務所HORI Technoloy Officeを開設して、専門のストレージマーケティングを中心に活動。講演や寄稿、毎月・ストレージの情報発信を続けている。 社外人脈は、多くの協会・団体へ参加して活動することで貢献しています。まずは、(一社)南太平洋協会(副理事長)は、オセアニア14カ国を支援する会で、特にパプアニューニアには12回、2週間電気も風呂もトイレもないジャングルで現地支援をしています。また、協会から出している旧暦カレンダーは、日本人の季節感を味合うのにぴったりのカレンダーでこの普及に努めています。災害復旧支援ダッシュ隊は、2011年の東日本大震災の時に発足した会で、今年10年目を迎えています。主に東北、茨城、琵琶湖、和歌山、岡山、福岡、熊本などに災害支援で出動しています。民博ミュージアムパートナーズ(MMP)は、吹田にある国立民族学博物館のボランティアで、2007年に予算取れる団体として発足に尽力し、現状も細々ながら継続しています。世界の民族学の地の終結です。他に、大阪工業大学校友会の相談役や電子クラブの相談役も行っています。一方で、日本旅のペンクラブ(理事)も活動を続け、旅ペン関西部としてお世話をしています。その中で、「大阪日日新聞に「旅ペン関西部便り」を毎週掲載しており、その記事も担当しており、関西メンバーに執筆依頼をしています。さらに、月刊奈良には、年1回投稿、今年は9月号に掲載される予定。また、楽酒の会(現世話人)も約50名の会員で、毎月1回、日本酒を4~5種類味わっています。今コロナ感染で中断していますが、すでに169回を開催しました。日本の伝統での茶道は、24歳から7年間稽古に通い、現在では初釜やお茶会に顔を出す程度ですが、毎月の自宅で月初めにお菓子と抹茶を頂いています。週1回のテニスと年に何回か昔のテニス仲間が集まり、人的交流を続け、仲間が丹波に黒豆の畑を持っているので、毎年10月後半に丹波へ行き、黒豆刈りをします。その他、専門ではIDEMA JAPANの協賛会員(理事待遇)で、年間計画や理事会に参加して、会を盛り立ています。海外は旅行や仕事も含めて85カ国を訪問し、今後100カ国を目指しています(今コロナ感染拡大で海外には出れないが)。読書は年間400冊目安で、ジャンルを問わず、乱読しています。幸いに近くに蹉跎図書館(駅に行くまでの途中)があり、新刊本が多いので、大いに活用しています。

 何せ、死ぬ時期が不明なので、いつ突然どうなるかは不明。80歳を超すと、色んな機能が落ちてくるので、覚悟をしながら、毎日を悔いなく過ごすのが一番。この歳になって、生き方云々ではなく、今後どう社会に貢献しながら生きていけるかが課題で、いつも社会にお返しする積りで行動している。ただ今、言えることは、専門で博士号をとるならば、若いときに研究成果をすぐまとめることが重要。筆者もビデオヘッドの開発をまとめようと思っていたが、すでにVTRが消えゆく技術、次のHDDも大容量は残るが一般的メモリはフラッシュメモリやSSD(ソリッド・ステート・シリコン)にとって代わろうとしているので、最先端の時にまとめるのがいい。技術の進歩は早いので。若い人は、体力をつけることと生涯のライフワークを持つことが重要。実際にリタイアしてからの人生が勝負になる。だた、忠告したいのは、最近はコロナ感染拡大のために、在宅勤務やリモート会議が増え、人同士の折衝が大幅に減少しています。しかし、人間はアナログ。人と人との対面接触は、話し方、動作、声の調子や表情で読み取れるもので、感情、つまりテレパシーは、多分人間でないと不可能だと思えるので、科学技術が進歩してもフェース・ツー・フェースは必要で、人間としての存在感を示せるものです。筆者は、幸いに茶道を若いときにみっちりやったので、その精神が、今生かされています。

 従って、80歳を機に、今後は
1) 今まで経験したノウハウを、社会へのお返しすること
2) 90~100歳へ向かっての店じまいの準備で、モノを整理して廃棄していくこと
3) 専門や過去に書いて随筆をまとめ、一冊の本にすること
4) 過去多く撮った写真整理と処分
5) 健康維持のためのテニス、朝晩の筋トレ・ストレッチ、ウオーキングの継続
6) 各会へのお世話(日本旅のペンクラブ、楽酒の会、L&L21親睦会、蝮会<テニス>、あこがれG、IDEMA JAPAN、各種お茶会、
7) アルトサックスのマスター
8) 世界100カ国訪問
9) 小説を書くこと
10)読書の継続(年間400冊)

などを目標に、更にチャレンジしていく積りである。

〇堀内義章への意見・問い合わせ先:yhoriuchi@datagate.jp 090-8532-7533

堀内義章
1941年8月25日生まれ、東京生まれの九州育ち(福岡・飯塚)。1965年大阪工業大学卒、日本大学大学院国際情報研究科修士修了、京都創政塾卒(政治家を育てる会)。三洋電機(株)中央研究所入社。2001年定年退職後、個人事務所「HORI Technology Office」設立。マーケティングを中心に各種レポート発表中。専門は磁気記録(VTRヘッド、ドラム、HDDヘッドマーケティング)。大阪工業大学校友会参与・電子クラブ相談役、(一社)南太平洋協会・副理事長、日本旅のペンクラブ・理事、IDEMA JAPAN・協賛会員、(一社)災害復旧支援ダッシュ隊・会員
(作成:2021年8月3日)

H29年(2017年)卒のOB短信

西岡 正治 (Masaharu Nishioka)
光洋機械工業株式会社 (http://www.koyo-machine.co.jp/)
工作機械・メカトロニクス事業本部 設計部 制御設計グループ

2015年 工学部 電子情報通信工学科 卒業
2017年 工学研究科 電気電子工学専攻博士前期課程 修了

私は、大阪府八尾市に本社を置く光洋機械工業株式会社で工作機械の制御設計を担当させていただいています。1961年に光洋精工株式会社(現(株)ジェイテクト)より分離独立し、工作機械メーカーとしては「センタレス研削盤」や「平面研削盤」などの製品で国内トップシェアを誇るリーディングカンパニーです。また、自動車部品の重要保安部品である「インターミディエイトシャフト」の製造においては世界トップクラスのシェアを占めています。
大阪工業大学へ進学したきっかけは、元々数学や物理・化学などの分野が好きであったこと、無線の製造に携わっていた叔父の影響もあり電気や通信などの勉強がしたいという2つの点から電子情報通信工学科を選びました。
大学では色々な講義がありましたが、その中でも神村先生の「レーザー工学」の講義で興味を持つようになり「レーザー研究室」に所属しました。卒業研究のテーマの中で、一般教養学科の先生方との共同研究を行うものがありました。化学合成法を用いることで新しいレーザー材料となる半導体試料を作製し、物性評価を行う研究内容にとても興味を惹かれ、このテーマを選択し卒業研究に取り組みました。白衣を着て様々な合成を行う実験や、作製した試料をレーザーで測定するラマン分光測定や電子顕微鏡での観察は、それまでのアナログ電子回路を用いた実験とは違った新鮮さを感じました。
大学院に進学してからも共同研究を続けることを決め、化学合成法を用いた希薄磁性半導体の作製・評価を行う研究に取り組みました。作製した試料の物性を分析するためにX線回折測定や、磁化測定などの測定方法を取り入れることで多角的な視点から評価を行う方法を学びました。また、(地独)大阪市立工業研究所(現(地独)大阪産業技術研究所)の先生方との共同研究を行う機会があり、試料作成や実験通じて外部の研究者の方と意見を交えることで多くの事を学びました。
 さらに、神村先生のご支援や共同研究先の先生の紹介を通じて短期留学といった貴重な経験をさせていただきました。留学先は中国・上海にある上海師範大学で中国の多様な文化に触れ、多くの友人を作ることができました。また上海は地下鉄網がとても発達しており日本に比べて安い料金でかなり遠くまで乗ることができることや、公安部による監視が厳しく荷物検査が徹底されていた点が印象に残っています。 光洋機械工業へ入社後は半年間の現場での実習があり機械の配線作業や生産ラインで組み立て作業に取り組み、その後設計部の制御設計グループへ配属されました。現在の業務内容は「平面研削盤」のハード・ソフト両方の設計を担当させていただいています。ハード設計では機械本体に取付けられる制御盤・操作盤のサイズや、お客様の仕様
に合った制御部品や周辺機器の選定を行い電気回路図の作成を行っています。弊社では機械の大部分を機械設計が、電気に関わる部分は制御設計が担当し、部品の選定と手配が別になることがあります。構造上の干渉を避けるために機器などの取付け寸法や、選定部品の確認を行うことはとても重要になります。ソフト設計では主にシーケンサーやNCプログラムを用いて機械がどのように動作するべきか、どのようにあるべきかと考えながら組み上げます。場合によっては1から組む必要があるため難しい時もありますが、自分で考えたプログラムが正常に動作した時の達成感は感慨深いものがあります。
 入社してもう3年目という感覚ですが、まだまだ社会人としてはこれからなので日々努力を重ねることでレベルアップできるように頑張ります。

S61年(1986年)卒のOB短信

第55次日本南極地域観測隊(JARE55) 越冬隊通信担当
久保田 弘 (KUBOTA Hiroshi)

 皆さま、はじめまして。

大阪工業大学工学部電子工学科を昭和61年に卒業した久保田弘と申します。
現在は、総務省近畿総合通信局で情報通信行政(ICT政策)の仕事をしています。

昭和基地・19広場にて
昭和基地・19広場にて

私は、平成25年11月から平成27年3月までの約1年4か月間、第55次日本南極地域観測隊(JARE55) 越冬隊通信担当として、南極・昭和基地に赴任しておりました。

このたび、OB短信執筆の御依頼をいただきましたので、その当時の体験を振り返ってみたいと存じます。

日本南極地域観測隊
日本南極地域観測隊

昭和基地は、日本からおよそ1万4千キロメートルも離れています。緯度経度で表すと南緯69度、東経40度付近に位置します。ちょうどサウジアラビアやエチオピアの真南に当たります。昭和基地時間は、日本時間よりも6時間遅れています。

 

昭和基地は南極大陸にあるのではなく、大陸から4キロメートルほど離れた「東オングル島」という東西約3キロメートル、南北約2キロメートルの小さな島にあります。

昭和基地は南半球にあるため、日本とは季節が逆です。いまは1月ですので、昭和基地の季節は真夏です。

昭和基地の平均気温は、8月が最も低くてマイナス20度ぐらいです。反対に最も高いのは1月ですが、それでもマイナス1度ぐらいです。12月頃から翌年2月頃にかけては最高気温が零度を超える日がありますので、降り積もった雪が少しずつ融けだします。

これまでに昭和基地で観測した最低気温は、マイナス45.3度です。ちなみに、昭和基地から約1,000キロメートル離れたところにあるドームふじ基地では、標高が3,810メートルもあるため、マイナス79.7度を観測したことがあります。湿度は一年を通じて低いのですが、厳冬期には特に乾燥しています。夕食後に洗濯した衣類を室内に干しておくと、翌朝にはすっかり乾いています。

人間の活動がほとんど行われない南極は、地球環境を正確に観測することができる地球上でも貴重な場所です。

南極を研究する科学者は、さまざまな自然現象を通して、地球環境の過去を知り、未来を予測しようとしています。

南極地域観測は、国際協力の下に日本国が実施する事業の一つです。

事業の遂行に当たっては、極地科学に関する研究や観測及び業務に関係する複数の機関が担当分野の責任を負い、文部科学省に置かれている南極地域観測統合推進本部が省庁横断的にそれらを統合推進する責任を負っています。

日本における南極地域観測は、昭和32年(1957年)に南極大陸リュツォ・ホルム湾にある東オングル島に昭和基地建設を決めて以来、60年以上にわたって実施されてきました。

また、世界的な観測網の拠点として、定常的な気象観測の継続実施やオゾンホールの発見、研究プロジェクトとしての月隕石・火星隕石を含む世界最多級の隕石の採取、氷床掘削で得た氷床コアの解析による過去数十万年にわたる気候変動の解明及び生態系や大気中の二酸化炭素量のモニタリングによる環境変動の研究など多くの観測研究の成果を上げています。

私が参加した第55次観測隊では、24名の越冬隊員が昭和基地の維持運営の任務に就いていました。

越冬隊員は、大きく観測系の隊員と設営系の隊員に分けることができます。観測系の隊員は、電離層や気象、地磁気、オーロラなどの各種観測を行っています。設営系の隊員は、通信のほか、機械、建築・土木、調理、医療、環境保全、庶務・情報発信などの業務を行っています。

隊員の選考は、出発する前年の11月頃から始まります。また、隊員は、主として関係機関や研究組織から推薦を受けた人のなかから書類審査、面接、健康判定などの選考によって選ばれます。隊員のなかでも、医療隊員や調理隊員などは、一般公募で選ばれています。

昭和基地無線局の通信卓
昭和基地無線局の通信卓

隊員に求められるものとしては、専門的な知識・経験を持った「その道のプロ」であることはもちろんですが、心身ともに健康で協調性があり、また、歴史ある国家事業に従事する観測隊員としての自覚と責任を持てることが重要です。

通信担当の主な仕事としては、無線通信の宰領、無線設備の保守、電報の取扱いなどがあります。

越冬隊には通信担当が一人しかいませんので、通信に関することは、全て私が責任を持って行わなければなりません。(ただし、LAN及びインテルサット衛星通信システムについては、専任の隊員が別にいます。)

特に無線設備が故障したときには、迅速な対応が求められますので、気が休まるときがありません。

また、限られた人数で基地を維持運営していかなければなりませんので、通信の仕事以外に除雪や建築・土木工事、車輌整備、各種観測の補助などの仕事も行います。さらに、風呂やトイレなどの共用部分の清掃、調理の補助、散髪なども交替で行っています。

昭和基地における通信には、(1)日本国内との通信、(2)野外観測チームとの通信、(3)基地及びその周辺における作業連絡用の通信、(4)南極観測船しらせや観測用ヘリコプターとの通信、(5)外国基地との通信などがあります。

インマルサット衛星通信システムの修理作業
インマルサット衛星通信システムの修理作業

通信する相手との距離や目的によって、HF(短波帯)無線、VHF(超短波帯)無線、UHF(極超短波帯)無線、インテルサット衛星通信システム、イリジウム衛星携帯電話などの無線設備を使い分けています。

第1次観測隊が昭和基地で越冬を開始して以来長い間、隊員が日本にいる家族と連絡をとる唯一の手段がモールス通信による電報でした。

これを大きく変えたのが、昭和56年(1981年)に第22次観測隊が持ち込んだインマルサット衛星通信システムでした。これによって、電話やファクシミリなどで、簡単に日本国内と連絡できるようになりました。

さらに、平成16年(2004年)に導入されたインテルサット衛星通信システムによって、インターネットの常時接続が可能になりました。現在の昭和基地では、インターネットは、仕事に、また家族との連絡に欠かすことのできない存在になっています。

私が昭和基地に到着した当初は、通信の内容を一言も聞き漏らすまいと非常に緊張して通信を行っておりましたが、越冬終盤近くになると、さすがに落ち着いて通信できる余裕が出てきました。人間の慣れとは恐ろしいものですね。

波帯送信機の定期点検作業
2kW短波帯送信機の定期点検作業

越冬中、無線設備の故障も相次ぎました。車載型・携帯型無線機をはじめインマルサット衛星通信設備、短波帯送信機、ロンビックアンテナなどの故障には相当悩まされました。しかし、苦労して修理できたときの感激はいまでも忘れることができません。

仕事以外では、野生のペンギンやアザラシとの遭遇、そしてオーロラ、白夜、極夜、ブリザードなど通常では滅多に体験できないことをたくさん体験することができました。

昭和基地での生活は、楽しいこともたくさんありましたが、その一方で辛いこと、しんどいこともたくさんありました。瞼(まぶた)を閉じれば一つ一つの出来事がまるで走馬灯のようによみがえってきます。

ユーモラスなアデリーペンギン
ユーモラスなアデリーペンギン

大きな怪我や病気をすることもなく無事に任務を遂行できましたのも、ひとえに国内で支えていただきました多くの皆さまのおかげです。お陰さまで、第54次観測隊から託された通信隊員の襷(たすき)をなんとか第56次観測隊につなぐことができました。この場をお借りしてお礼申し上げます。本当にありがとうございました。

ウェッデルアザラシ
ウェッデルアザラシ

私は、これまで校友会活動にはあまり参加しておりませんでしたが、日本南極地域観測隊に参加したことが御縁となり、平成30年10月に常翔学園校友会(旧大阪工業大学学園校友会)関東支部と広島国際大学校友会関東支部とで構成する「東芳会」の第57回総会において、「日本の南極地域観測と南極通信事情 ~日本南極地域観測隊に参加して~」というテーマでお話させていただきました。

これからは、少しずつでも校友会活動に参加させていただきたいと存じますので、よろしくお願いいたします。

満天の星空とオーロラ
満天の星空とオーロラ

皆さまには、もっともっとお伝えしたいことがあるのですが、OB短信では十分にお伝えすることができません。国立極地研究所のWebサイトに「南極観測のホームページ」があります。興味のある方は、是非御覧になってみてください。南極観測のことをより詳しく知っていただけることでしょう。

国立極地研究所 南極観測のホームページ
https://www.nipr.ac.jp/jare/

H23年(2011年)卒のOB短信

オプテックス株式会社 戦略本部 開発センター R&D課
辻 久美穂(Kumiho Tsuji)さん
 私は、2011年に大阪工業大学の大学院を修了し、オプテックス株式会社で働き始めました。オプテックス株式会社は、滋賀県大津市にあるセンサメーカーです。
 会社は琵琶湖のすぐそばに建っており窓からは琵琶湖を一望出来ます。初めて会社に訪問されたお客様からは「素晴らしい景色」「まるで日本じゃないみたい」「こんな環境で仕事をしたい」と喜んでいただけます。
ところで、「オプテックス株式会社」の名前を聞いたことがある人は非常に少ないと思いながらこの記事を書いています。私も就職活動をするまでオプテックスという会社のことは全く知りませんでしたが、実は私たちの生活の身近にある製品を作っている会社です。
オプテックスは、おそらく皆さんが一日一回以上利用している「自動ドアのセンサ」を作っているメーカーです。自動ドアセンサの国内シェアは約60%。つまり二台に一台はオプテックスの自動ドアセンサです。それ以外にも、防犯用人感センサを開発し、世界80カ国以上へ販売しているグローバルな会社です。
私は、入社直後海外向けの防犯センサの開発に携わりました。現在は、センサの需要が見込まれるIoT(Internet of Things)市場に対して、新たなビジネスモデル作りや新たな技術・製品の研究開発をしています。
 学生時代は、小池先生の新機能デバイス研究室に所属し、半導体に関する研究をしていました。
研究室に入ったきっかけは授業の時に見たこんな映像でした。
―電車の窓やデスクがタッチパネルになり、操作すると必要な情報が表示される―
この映像を見た当時の私は、映画や本の中の世界が実現になんだ!
と驚き、わくわくしたことを覚えています。そこから約三年間、矢野先生と小池先生の指導の元、研究を行い、多くの事を学び貴重な経験をさせていただきました。
 最近では、仕事終わりや土日に開催されている勉強会やコミュニティに不定期ですが参加しています。このような場では、働く環境が違う人達と関わることが出来るため、新たな気付きを得ることや、別の視点で物事を考えることが出来ます。また同世代の女性技術者や結婚出産後も働きつづけ管理職をされている女性達のコミュニティもあります。同じ会社内に女性技術者が少ないため、ロールモデルが身近にいないのですが、社外の女性技術者の方々と会話をすることで、将来、自分がどうありたいかを考える機会を得ることが出来ました。
今いる環境ではない別の環境に身を置くことで、様々な経験や出会い、発見があります。学生の皆さんも、好奇心を持って色々なことにチャレンジしてほしいと思います。

H24年(2012年)卒のOB短信

株式会社メガチップス 人材開発部 組織・採用グループ 採用担当
青木 隆裕 (Takahiro Aoki)

■会社情報
株式会社メガチップス http://www.megachips.co.jp/
(RecruitingSite http://www.megachips.co.jp/recruit/index.html)
市場情報:東証1部
※株式会社メガチップスは、独立系のファブレスメーカーで使える技術や設備に制限が一切無く、課題解決向けたアプローチを多用に持っているという特徴があります。
ベンチャー企業精神が強いので、大企業の鼻を明かしてやろう!という気骨のある方を募集しています。

■学歴
2012年 工学研究科 電気電子工学専攻 博士前期課程 終了
2010年 工学部 電子情報通信工学科 卒業

【大阪工業大学を選んだ理由】
小学校~高校頃に、自宅でパソコンを触れることが多かったので、電化製品はどういう仕組みで動いてるんだろう?何ができるんだろう?という興味もあり、ソフトとハードが両方とも学べる電子情報通信工学科を選びました。

【大学院へ進学】
大学院へは、今しか出来ないことをチャレンジしたい!という想いで進学しました。
講義を通して半導体について興味を持ち、小池先生の新機能デバイス研究室で単結晶酸化亜鉛に関する研究しました。
青色LED作製を目指し、PL測定やX線回折装置を使用して単結晶酸化亜鉛を分析しながら、研究に明け暮れる日々で、再現性保つにはどうすればいいか?どうすればより高品質な結晶になるか?などを小池先生と議論しなら研究を行っていました。
単結晶酸化亜鉛薄膜に対する8MeVプロトンビームの照射効果に関する研究テーマでは、東北大学、筑波大学と共同研究を行い、他大学と交流することで普段とは違う見方・考察をを養うことができ、研究を通して自身を成長させることができました。

【株式会社メガチップスに入社】
就職活動は、大学院1年生の終盤に開始しました。
大学院で研究していた半導体をもっと上位で使用する仕事に興味を持ち、その分野の仕事を中心に探していました。
株式会社メガチップスに決めた理由としましては、独立系のファブレスメーカーで当時は従業員300名程度で大企業に負けない高い技術力があるという点、ベンチャー企業精神で色々なことにチャレンジさせて貰える文化があるという点、社内の風通しが良いという点に惹かれで決めました。
2017年4月までは大学院で学んだ製造プロセスに関する知識を生かしながら、アナログ回路設計の経験を積んでいました。大企業ではレイアウト設計とアナログ回路設計で担当が分かれて設計していたりするのですが、メガチップスでは両方とも同じ担当者が設計を実施し、アナログ回路設計の意図を反映させたレイアウトを作れる回路設計ができるという特徴があります。その後、縁が合って人材開発部という人を採用/育てる部門で新たにチャレンジさせて頂いてます。
来年度も採用担当として、一緒に働く仲間を募集したいと思いますので、どうぞよろしくお願いします。
入社後はどこにいままでの経験が生かされるのだろう?と不安になるかもしれませんが、学生時代に培った知識、経験は、必ず職場でも生かされます。
就職活動は学生時代における人生を左右する最大の岐路になると思いますが、自分自身の決断に後悔がないようにしっかり悩みながら前に進み、頑張って下さい!

S45年(1970年)卒のOB短信

小泉 博 さん
[1970年の大阪万博の年に毎日放送に入社]

私は昭和45年(1970年)の卒業ですから47年経っています。この年は吹田で大阪万博が開かれ、世は万博景気と言われて就職も好調で、私は千里丘の毎日放送に技術職として入社しました。もう退職して6年ほどになりますが、放送局の技術職には大きく分けて2種類ありました。一つは放送や送信などを担当する純技術です。番組やコマーシャルなどを番組表にそって間違いなく正確に送出し送信所から各家庭に届けます。今はめっきり見なくなりましたが、当時は機器が不安定で放送が途切れたり番組が不体裁になる放送事故は度々あって「しばらくお待ちください」というテロップがよく出ていました。担当者はその都度心臓が止まる思いで復旧していたものです。

もう一つは番組を作る技術で制作技術といいます。カメラマンや音声ミキサー、照明や編集などスタジオや中継現場で番組を作ります。意外に思われるかも知れませんが、これらの担当者はすべて電気・電子出身の技術者なのです。カメラや音声機器や編集機などはすべて電気機器で、取扱いはデリケートで不安定なものでよく故障しましたし、修理もしなければなりませんので電気技術者でなければ使いこなせなかったのです。

 

[テレビカメラマン]

私の趣味はカメラでしたのでカメラマンを希望し若いころはテレビカメラマンをしていました。ところが番組はすべてのジャンルを担当します。ドラマ、バラェティー、スポーツ中継、報道、当時はクイズ番組や歌番組も盛んでした。歌番組ではカメラワークのため前奏や間奏が何小節あるかカウントしなければなりません。私は音楽やスポーツには疎かったためイントロという言葉もわかりませんでした。当時はカラオケというものもなかったのです。スポーツ番組では野球であれゴルフ、ラグビー、バレーボールなど何でもルールを知らなければなりません。あたりまえですが理解できないものは撮影できないのです。したがって制作技術では広く浅くなんでもある程度知っておく必要がありました。

 

[ドラマ制作は重労働]

毎日放送ではドラマも盛んに制作していました。ドラマの撮影は深夜に及んだり徹夜になるのもめずらしくなくて、作業はかなり厳しいものでした。スタジオにはドラマセットを建てて撮影しますが、セットの家はスタジオの床に打ち付けることができません。スタジオの床に置いてあるだけです。台所でヒロインがショックを受けて、洗っていた茶碗を落として割るというシーンはよくあります。ところが、本番では「ボコッ」という音がして何度落としても割れません。部屋の床が台に乗っているだけなので割れないのです。結局皿を2枚重ねて落としてやっと割れました。

役者さんもいろんな人がいますが、現場のスタッフに撮影のテクニックやコツを教えたがる人もいます。時代劇である大物俳優が店から出てきて、店先で待っている町駕籠に乗って去っていくシーンがありました。そこでテクニックを教えてくれるのですが、考えてみますと今本物の駕籠屋さんはいません。駕籠を担ぐのは役者さんです。町駕籠ですから前と後ろの二人でお客一人を乗せて担ぐのです。どうしてもヨタヨタと担いでいく様になります。そこで、店から出てきて駕籠に乗り「駕籠屋さんやっとくれ」と言って御簾(駕籠ののれん)を下し、駕籠屋さんが「ヘイ」と言って担ぐ間に反対側からスルリと降りてカメラに映らないほうに隠れました。空駕籠は「エイホ、エイホ」と客を乗せた体で去っていきました。このような役者さんを我々は「スタッフ役者」と呼んでいます。

 

[NG集 役者やスタッフは必死]

役者さんが言うには、「セリフを覚えなくてもよかったら」こんな楽な仕事はないといいます。

意外にも名前が覚えにくいそうです。覚えにくいというよりも忘れやすいのでしょうか。普通のセリフは前後の文脈があって想像できる部分もあるが、名前は思い出せなければそれっきりです。本番で逃げる犯人に向かって「コラ待て!溝上」と自分の役の名前を叫んでNGになることもよくあります。

あるドラマで主人公の大会社のワンマン社長がガンに侵され余命幾ばくもないことになりました。そこで、関係者一同を呼び集めて遺産相続を言い渡すシーンがありました。そこには妻と子ども達以外に、別れた女や妾やその子供達、おまけに強欲な親戚など大勢が詰めかけています。大詰めの大変重要な長いシーンで、ほとんどが社長の長セリフです。社長役の役者さんは心配で横に控えさせている顧問弁護士役の役者さんに「名前が出なかったら助けてね」と助っ人を頼んでいました。

さて、本番です。「長男の隆に株券を…」「次男の正には○○の土地を…」つぎに「長女のあー…」

すかさず弁護士が「春子さま!」、ああ「春子には現金○○円」となんとか全員の遺産相続言い渡して長いシーンが終わりかけたときに「あー… う… …」、と絶句。一同「??」、社長「俺の名前忘れた!」 弁護士「それは言えないよ」一同ずっこけて最初からやり直しになりました。

ところで、ドラマの撮影が終了したとき打ち上げ懇親会が開かれます。そのときVTRに収録されている失敗のNG場面を皆で見て、改めて大笑いをして楽しんでいました。当然その後NG収録分は破棄していました。それらずっとあとになって、他局ですが失敗場面のVTRを集めてNG集とした番組が現れ好評を得ていました。アイデアとはこんなところにあるのでしょうか。皆が捨てていたものを使って番組を作った人は、ほんとうに偉い人だと思っています。

以上放送局のほんの一部を紹介させていただきました。好きでしていた仕事でしたので、いろんな経験ができておもしろい世界でした。 もう飽きましたけど!