H19年 (2007年)卒のOB短信

橋本貴史(Takahito Hashimoto)

ローム株式会社 http://www.rohm.co.jp/web/japan/
LSI生産本部 生産担当 LSI製造部
LSI技術担当 立体加工 プロセス課 薄膜グループ

2007年 工学部電子情報通信工学科卒業
2009年 工学研究科電子電気工学専攻博士前期課程 修了

≪ハードウエアづくりを学ぶために大阪工業大学へ≫

私は、カスタム LSI 大手のローム株式会社で、LSI のIT産業技術の開発を担当しています。「ローム株式会社」の製品としての名前はあまり知られていませんが、JR 京都駅の照明や新型プリウスをはじめ、多くの製品にはロームの電子部品が使われています。ご利用されるお客様の顔が見えるのは製造業の面白さであり、やりがいを感じています。

≪講義で興昧を持ち半導体の世界へ≫

私が大阪工業大学への進学を決めたのは、コンピュータのハードウエアを専門に研究されている先生のもとで、その技術を学びたいと思ったからです。しかし、小池一歩先生の「基礎電子回路」の講義で、半導体の最新技術について教わったことをきっかけに半導体に興味を持つようになりました。特に透明な半導体に関する話は印象的で、授業後は先生の研究室にお邪魔して、半導体について教えていただくようになりました。卒業研究では小池先生の「新機能デバイス研突室」に所属し、半導体による電子部品「透明トランジスタ」の研究に没頭しました。完成品は非常に性能が高く、当時、世界トップクラスの性能を記録しました。このような成果を挙げられたことはとてもうれしく、学生時代の思い出に残る研究となりまし
た。

≪材料を選び、より安価な青色 LED の開発に着手≫

大学院では、ナノ材料マイクロデハイス研究センター(ナノ材研)に入り、さまざまな経験をしました。私がナノ材研に入った頃は、大阪工業大学が「ハイテク・リサーチ・センター」という国のプロジェクトに選定され、センターを一新するタイミングでした。どのような装置を新設するかはセンター内の各グループに任されていたので、私は X線で材料を測定する装置を設置し、ほかの研究室の学生が持ち込む電気・電子サンプルの測定をしながら測定技術を磨きました。また、機械工学科の上辻靖智先生の研究にも携わり、著名な先生方が出席される学会で発表する機会も多くいただきました。そんな多忙な研究生活の中で私がメインに取り組んだのは、青色発光ダイオード(LED) をつくる研究です。現在、世の中で使われている青色 LED より安価につくるために、酸化亜鉛を材料に研究をス
タートしました。この研究は、当時大阪工業大学では始まったばかりだったので、一から取り組むことが面白く、やりがいを感じました。毎日朝から深夜まで研究を続けていましたが、青色 LEDを発光させる段階までは到達できませんでした。しかし、研究成果をまとめ大学院の修士学位論文発表会では論文賞をいただき、苦労が報われました。

≪自由化研究に打ち込んだ大学院時代の経験を生かす≫

大学院修了後、ローム株式会社を就職先に決めたのは、先輩方から「入社1年目からいろいろな仕事を任せてもらえる」と聞き、魅力を感じたからです。実際、私も1年目から自分で計画を立て、開発に取り組みました。LSI製造の効率化を考えた時は、これまで使用していた国産材料を見直し、国外産材料が適用できるかどうかを評価し、大幅なコストダウンに成功しました。このような仕事を最初から戸惑うことなくこなすことができたのは、ナノ材研で計画を立てて結果を解析・評価し、先生に報告するという、会社と同じ流れで研究をしていたからだと感じています。社会に出て改めて思うのは、大阪工業大学では、社会で通用する力を知らず知らずのうちに身に付けることができ、また、他大学出身者の話を聞くと、大阪工業大学ほど研究環境に恵まれた大学はないと実感します。大学院では、自分で実験テーマを立案し、材料を買って装置をつくったこともあります。失敗することも多くありましたが、そんな環境だったからこそ、意欲を絶やすことなく研究に打ち込めたのだと思います。

(2016.9.8作成)

H27年 (2015年)卒のOB短信

H27卒,福井千晶
(現在,大阪工大大学院前期課程1年,電子クラブ幹事)

私が電子情報通信工学科に入学したのは2011年で、現在在学5年目になります。OB短信を書かれてきたOBの方よりは経験などが浅いと思いますが、大学5年間を振り返って見ようと思います。

私が入学した時最も驚いたことが120人の学生のうち女性が5人しかいなかったことです。高校の時も女性が少ないクラスにいましたが、これほど少ないとは思いませんでした。現在の1年生の女性も5人程度であるので、せめて女性の数が2桁くらいになって、工学が好きな女性が増えればいいなと思いました。

高校を卒業した時点で大学生活とはどのようなものか想像ができなかったため、すべてにおいて必死だった記憶があります。1年生の基礎科目はなんとか高校の延長という感じでしたが、2,3年の取得単位の多さと専門分野の難しさと部活やバイトに忙しかったです。逆にここで挫けなかったことが今の自信になっていると思います。

大学の授業は高校の授業と違いなぜそのような動作原理になるのかをひたすら理論的に考えるところが面白いなと感じたところです。なぜそのようになるのかをひたすら考えて問題などが解けた時の達成感はひとしおでした。1限目から4限目が終わったら平日は部活かバイトに行く生活をしていました。私は茶道部に入っていたのですが、抹茶を飲みほっこりすることや新しい点前を練習している時がとても楽しかったです。新しい点前を習得した時や先生から褒められた時はもっと頑張ろうと思いました。またこの部活はお茶会がとても多く、説明やフリートークをどのようにしたらお客さんに楽しく過ごしてもらえるかを考える機会が多かったので、部員とどのようなコンセプトでお茶会をするかを話し合うことが多くありました。この時に部員たちと話し合う大切さを学びました。3年生になると部活の引退、研究室の配属、就職活動、4年生になると卒業研究の着手など様々な出来事がありました。

3年生の部活の引退においては、茶道について右も左もわからない状態から、学年が上がるにつれて運営や後輩の指導などに携わることができて自分自身で成長できたのではないかと思いました。

研究室の配属については最後まで悩みましたが、自分で選択したことについてはあまり後悔したことがないので、この研究室で良かったのではないかと思っています。この研究室に配属されてから、建物の設計図から配管の長さを自動積算するシステムの構築についての研究を行っています。この研究は電子クラブのOBの方との共同研究です。

施工業者の人はまずケーブルや給水管やガス管が何本のものが何メートルいるのかを見積もらなければなりません。どのようにするのかというと建物の設計者から受け取った設計図面から見積もりをします。この研究は実際に施工業者の人がしている方法と同じ方法で解析する手法をとることにしました。施工者は表になっている凡例記号と同じ記号を建物の設計図中から探しだし、個数を数えます。そして同じ記号同士を結ぶ線の長さを図り見積もりを出すといったものです。この研究は実装する手順などが簡単そうに見えるため1年くらいで終わるであろうと思っていました。この研究では施工業者の人は建物の設計者から紙の設計図かPDFを受け取るため、設計図がPDFであるときはPDFの解析をする必要がありました。このPDFの解析をするライブラリも少なく、解析をすることがとても難しいです。現在もこの研究を続けており、問題にぶつかる度に研究とは奥が深いなと思うようになりました。しかし、あきらめずに理論的に物事を考えて研究を進めていきたいと考えています。

そして私には今後、就職活動、卒業、就職など次のステージが待っています。その時は今まで経験したことを生かしていきたいと考えています。就職活動ではいつも電子クラブのOBの方に就職の講演などをしていただきありがとうございます。私たちはOBの方に支えられていることを実感しました。また私たちが卒業して社会人になった時に後輩をサポートできるようになりたいなとおもいました。

H10年 (1998年)卒のOB短信

H10年卒 吉田誠

私は、本学電子工学科を1998年に卒業後、今年で16年になります。
月日の経つのは早いもので、「もうそんなになるのか」と改めて感じています。
卒業してからは高周波回路、アナログ回路の研究・開発・設計を業としてまさに電子工学が本領発揮できる現場で仕事をしてきました。
大学時代に学んだ事が確かに必要になっているのですが、いかんせんしっかり学んできたつもりが、社会に出てから再び学び直しの感があります。
実際の現場での電子回路の振る舞いの解析は、物理現象の振る舞いを観察する「物理実験」のようで、モノの振る舞いから自身で仮説を立てて、動かしてみて、どういう挙動を返してくるか、この結果に正直に向き合いながら進めています。特に性能を追い込むときには、この時の観察力と考察力が重要になってきます。
また、アンテナやフィルタなどの高周波回路は目に見えるわけではないので、基礎理論として大学時代に学んだ、マクスウェルの方程式のお世話になっています。というと聞こえはいいですが、実はシミュレーターのお世話になっているだけとも言えますが・・・。
しかし、シミュレーターは、なにがしかの結果は出してくれますが、最適な結果を自動で出してはくれません。シミュレーターから、自身が希望する結果が出るように条件を設定してやる必要があります。このような時、マクスウェル方程式から基本的な振る舞いの方向性を理解しておくと、これほど心強い事はありません。
新しいものを開発し作り上げる時、自身が「こうしたい」、「ああしたい」という構想を実現するためには、このようにして物の振る舞いをしっかり理解するところがベースとなり、そこに、自身の思いが重なって作り上げることが出来るのではと、私は考えています。
さて、話は変わりますが、先日、技術士資格の試験を受けやっとのことで合格をいただきました。
技術士という資格は電子工学関係の方には、なじみが少ないかもしれませんが、技術士は科学技術に関する技術的専門知識と高度な応用能力を国によって認められた技術者の称号で、科学技術の応用に携わる技術者にとって最も権威のあるといわれている国家資格です。
国際的にもAPECエンジニア登録制度があり、有能な技術者が国境を越えて技術者資格が相互承認され自由に活動できるようになってきています。
我が電子情報通信工学科でも、技術士に関連してJABEE認定課程が始まろうとしており、これは、大学のカリキュラムの修了が第一次試験の合格と同等であるものとして認められるものですが、その準備が着々と進んでいるようで将来が楽しみです。
技術士に求められるものは課題解決能力です。その意味で、この試験に挑戦することは資格を取ることだけではなく、下記のような一連の流れを身に着けるためにとても役立ったと感じています。

①現状の整理
・・・現状の把握と分類・整理をする。この作業を実行する事で自身の身につく
②課題の抽出
・・・本当は「こうあるべき」なのに、できていない事を抽出する
③急所を見つけ出す
・・・本来実現したかった事を進めようとする時に、妨げになっている急所を見つけ出す
④解決の方向性を決定する
・・・急所を解消するため(方式を変える、発生源をなくす、動作範囲を絞る)等の方向性を示す
⑤多角的な視点で検証したうえでの提案
・・・矛盾や見落としがないかいろいろな目線で検証したうえで、論理的に提案する

さて先日、この技術士の試験を合格したメンバーが集まるレセプションがありましたが、ここでも大阪工業大学の関係者の方にお会いしました。様々な第一線の場所で、大阪工大の関係者にお会いするのはうれしい限りです。
ここで注目したいのは、この技術士においても分野を超えた「横のつながり」を重視していることです。
我が電子クラブも様々な分野で活躍されている先輩方がおられますが、同じ母校という強い「つながり」を皆さんすでに持っておられます。
このつながりを大切にし、お互いが第一線の場で活躍し、自身を磨きつつ、共に刺激しあうことで、少し大げさかも知れませんが互いの技術力の拡大がより勢いを増し、ひいては日本の技術の発展につながると確信しています。
ぜひ、皆さんもこの電子クラブを共に活用し、互いの触発の場として活用されていかれることをお願いします。

(原稿受領:2014年5月1日)

D40年(1965年)卒のOB短信

堀内義章
HORI Technology Office 代表 ストレージアナリスト
(電子クラブ・相談役、大阪工大校友会・常任幹事・学生支援部長)

 

電子工学科(現電子情報通信工学科)を卒業して、今年で48年目を迎える。その年の学科では、一クラスで人数が一番少ない100名強。強烈な印象は、1年生の初めての授業が1限目の数学で、授業が始まってすぐに「気分を害した」と発して授業を中止されたS教授。理由は、前列横で漫画を読んでいた学生がいて、その状況に関して発言・行動だった。いきなり”どきま”を突かれた形だ。大学の厳しさを身近に感じた授業の第1歩であった。

それから、逆に筆者が、同大学の非常勤講師(8年前)をしていた時の学生の授業で、驚いたのは、授業中に「雑談する」「授業後の食べ屑・ペットボトルの置きっ放し」と非常にモラルが悪く、そうゆう躾がされていないのも事実。学生の質が問われるが、直ぐに学生と約束。「雑談をしたかったら、他人の迷惑になるので外に出て話し、終わった速やかに戻ること」「自分で出した塵は、持って帰ること」など社会人になると、これらの行為は通用しないことを注意した。しかし、2回目も同じことが続き、再度同じように注意。雑談者は直ぐに教室を出てもらった。3回目はさすが、これらの行動を取る学生はいなかった。やはり、大人の注意がないために分からずに行動していることと悪いと言う感覚がないことを痛感し、社会人としての指導者の態度も問われることを感じた。

その意味で、筆者は現在、工大校友会の学生支援部担当として、少しでも電子情報通信工学科を含め、就職を中心とした学生支援ができればと、3年前から取り組み今年で4年目を迎える。先輩として少しでも力になれればと思っている。新たに行ったことは「就職部と共同で”OBの就職フェスティバル”」「OBのスキル登録」で、今後は残り1年弱で、「OBオーナー企業の登録」「就職部との相談で相談室の開設」「OBの就職講演会」などを考えており、是非任期までに実行したいと思っている。それに加えて、工大校友会として初めて大学と共同で、第1回目の「ホームカミングデー2013」を、今年10月26日開催予定で計画を進めている。電子情報通信工学科の卒業生は、各年度別の幹事を選定(または積極的に手を上げて世話役に)して、これを機会に学年別クラス会を開催して参加して欲しいと思っているし、積極的に工大校友会や電子クラブのホームページを検索して、動きを見て欲しいと思っている。卒業生が母校と繋がることにより大学と企業を結びつけ、企業にも基礎部門で活用できる大きな結びつきの場となると思われる。

電子情報通信工学科のOB会である電子クラブも、2期4年(2004年4月~2008年3月)、会長を引き受けて、色んな新しき芽を吹き込んだ。「5年に1回の名簿発行を中止し、ホームページベースの開設」「OBの非常勤講師として授業の分担(「情報と職業で実施」)」「学生幹事の参画」「先生の授業の1コマをもらい、企業の体験授業」「OBの就職・講演会」「新入生の4月のガイダンスに電子クラブの説明を入れる」「大学院の研究成果発表会への支援金」などを実施、現状では更にこれらがグレードアップしている。電子クラブは、さらに現在の溝上会長が、色々な企画で、OB-先生-学生を繋いでいる。その意味で、卒業生は是非、この電子クラブとコンタクトをとってもらい、双方で活用してもらいたいと思っている。その一つが、ホームページで少なくとも2~3カ月に1回(可能なら月1回)は検索をしてもらい、母校の動きと情報の提供をお願いしたいと思っている(併せて工大校友会のホームページも検索を。ここから電子クラブも検索できるので)。

40年卒業の同級生も卒業当初、関西メンバーは月に1回曜日と場所・時間を決めて集まっていたが、残念ながら長続きはしなかったが、その後、幾つかのグループが個々に開催していたのを統合し、ここ数年は、同級生の村井さんの音頭の下に、毎年1~2月に神戸の有馬温泉に場所を決めて1泊とまりで集まっている。5~10名前後だが、メンバーも入れ代わり、また遠方からも来てくれている。まだ現役の社長で頑張っている人や個人で顧問やコンサルタントを続けている仲間が10人集まれば4名もいて、壮年パワーを発揮している。これらを、現役学生がうまく使えば、OBとしてのよきアドバイスが可能だと考えている。今年は2月に続き、第1回の工大校友会のホームカミングデーが開催(10月26日)される前夜(10月25日 有馬温泉で)にも40年卒のメンバーのクラス会開催を予定している。

筆者自身としては、今年は巳年。専門とボランティアを中心に活動している。専門の仕事(HDDを中心としたストレージは経験48年)を、パソコンを事務所として、講演やセミナー講師、毎月のレポート提出、東京の協会の手伝いなどを行っている。毎日が勉強で、新聞3紙(朝日新聞、日本経済新聞、電波新聞)とインターネット、展示会取材、講演会、企業プレゼンなどで専門と世界の経済や国の動きを分野別に毎月まとめて配布、海外に出て、国民性や町の空気を実感。ボランティアは、国立民族学博物館(大阪府吹田市)での特別展示案内役、大阪南太平洋協会の毎年(7回)のアニューギニアの2週間の滞在で現地支援、災害ボランティア・ダッシュ隊大阪で石巻への7回の復興支援、個々に毎月の楽酒の会開催、週1回のテニス、毎日のストレッチなどで、グレードアップしている。卒業生の皆さん、是非、電子クラブのホームページ検索を!

技術者育成の課題と展望 ~アジアの中の日本という視点から~ その1 留学生教育とベトナム事情

電子工学科1977年卒  杉町 宏
(立命館大学キャリアセンター勤務)

私は、本学電子工学科を1977年に卒業後、長年、コンピュータシステムの開発に携わってきましたが、最近では、私立大学職員として大学における人材育成に関わってきました。とりわけ、IT技術者の育成には、私自身の経験を通して培った思い入れがあり、日本の将来を担うIT技術者の育成に生涯を通じて尽力したいと考えています。そこで、今回と次回の2回に渡って、この間、私の携わったプロジェクトの様子などをご紹介して、今後の日本における技術者育成の課題をご一緒に考えて頂ければと思います。

さて、ご存知のとおり、今やITは、様々な製品やシステムに応用され、社会に不可欠な基盤技術です。ITは技術革新が目覚しく、急速にその適用範囲が拡大されるなかで、開発を担うIT技術者育成のニーズは一段と高まっています。しかし、日本では大学進学者の理工系離れが進行するなかで、決定的にIT技術者が不足するという深刻な事態に陥っています。産業界はこの事に大きな危機感を覚え、経団連が緊急提言として高度ICT技術者育成を国家政策として推進するよう訴えてきました。しかし、日本ではとかく技術者が冷遇され勤務条件もあまり良くないことから理工系離れを加速し、とりわけIT技術者はきつい仕事を強いられると言った誤ったイメージが受験生やその父母の間に浸透し、志望する生徒が減少していると思われます。

一方、このような日本の深刻な状況をよそに、日本以外のアジア諸国では、IT技術者を志す若者が増加し、国家政策により優れた技術者を輩出するようになってきました。その理由の一つはIT技術者の社会的ステータスが高く、他の職業に比べ高収入で厚遇されているからです。中国においては毎年、日本のIT技術者とほぼ同数のIT技術者が大学から輩出されていると言われていますから、正に脅威です。

そこで、日本企業によるIT分野の開発は、アジア諸国に対して、優秀で日本に比較すると人件費の安いIT技術者を求め、そうした国との協業すなわちアウトソーシングが急速に進展しています。しかし、現地の言葉はもとより、英語や文化にも精通していない日本人技術者と現地技術者の間で、コミュニケーションやマネジメントにおいて多くの問題が発生しており、日本とアジア諸国の架け橋となるブリッジ人材が求められています。

このような状況のなかで、経済産業省と文部科学省が初めて連携した「アジア人財構想プロジェクト」が発足し、国家政策としてこのようなアジア諸国と日本のブリッジ人材の育成が行われてきました。

私が立命館大学の情報理工学部事務長在任中に、このプロジェクトの人材育成プログラムの公募があり、学部長と協力して「産学連携による実践的ITマネージメント人財育成プログラム」として提案申請を行い、採択されました。このプログラムは、専門教育において産学連携による技術教育の豊富な経験とノウハウを活かすとともに、1000時間におよぶ徹底した日本語教育と日本ビジネス文化理解を施し、MOT(技術経営)の知識も合わせて教授し、さらにキャリア教育の視点を多く取り入れた大学院修士課程のプログラムとして開講しています。その成果は、中国・ベトナム・タイなどから優秀な留学生(現地のIT関連学部を卒業)を受入れ、全員が日本のIT関連のトップ企業に就職し、国や産業界からも高く評価されています。

参照:http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/ise/ahr/

これは単に日本ファンの留学生をマネージメントのできる高度技術者として育成することに留まらず、日本人学生と同じ研究室で学び研究することによって、日本人学生の国際感覚を醸成し、モチベーションを高めることにも非常に大きな効果が期待できます。実際、日本人学生は自分自身が留学をしなくとも、日常的に外国人に接することによって必然的に他国の文化や事情、考え方を知ることになり、社会に出てからの仕事の有り様を擬似体験するとともに、彼らの頑張る姿に触発されて研究に取り組むようになっています。

このように、大学においても産学連携によって現実的な課題に即した技術者育成が求められていますし、それを着実に実施して成果をあげて行かなければ科学技術立国日本の行く末は厳しいものがあると言っても過言ではないでしょう。しかし、この国のプロジェクトは事業仕訳けにより中止が決定しました。教育や人材育成の取り組みはそれこそ10年以上のスパンで見ていかないとその成果は生まれないものです。短期間に成果が出ないものを切り捨てるという政府のマニュアル的な対処に憤りを感じる今日この頃です。

このほかにも経済産業省、文部科学省、経団連、JICAなどが公募した技術者育成のプロジェクトに数多く採択され、先生方や企業の方々と共にIT技術者育成に取り組んできましたが、この「アジア人財構想プロジェクト」と国際協力機構(JICA)からODA事業として受託した「ベトナム国ハノイ工科大学ITSS教育能力強化プロジェクト」は特に印象深いものとなりました。

今回はこのベトナムにおけるプロジェクトについてもご紹介したいと思います。

私がはじめてベトナムのノイバイ国際空港(ハノイ)に降り立った時の印象は、到着ターミナルの電灯はほとんど点いておらず、薄暗いなかに軍服に良く似た服装の空港係員が所々に立っていて、これが共産主義国かと妙に緊張したのを覚えています。しかし、空港からハノイ市内に向かうタクシーから眺める風景は、初めて来たとは思えないほど懐かしさを覚えるものでした。所々未舗装のハイウェイ?を車に揺られながら、牛を使って田んぼを耕す風景を眺めていると、小さい頃の田舎の風景とオーバーラップされて、心が落ち着くのでした。車がハノイ市の中心部に入ると風景は一変して、道にはバイクが溢れかえり、クラクションを鳴らし続けながら、我先に信号を無視して行き交い、実に活気に満ち溢れた町でした。これも随分昔に日本の都心部で見られた光景です。実際、ベトナムの人々と接すると実に親日であることが判ります。日本はODAでも相当の支援を行っており、主要な道路や橋梁などは日本の手によるものです。国民性も儒教の国ということもあるのでしょうか、日本人と似かよったところがあり、家族的で勤勉なところがあります。

早朝から活気溢れるハノイ市街

ベトナムはBRICsの次に経済成長が期待されているVISTAの筆頭であり、2000年代に入り中国の経済成長をモデルとして急速に発展を遂げています。最近では、弱点であるインフラ整備を協力に推進しており、ハノイ-ホーチミン間の新幹線や原子力発電所の建設計画で日本の支援を期待しています。また、工業発展のために教育の高度化を国家政策として推進しており、とりわけ技術者・研究者の輩出に注力しています。日本をはじめとする先進諸国と教育に関わる数多くの協力関係を構築していますが、例えば、2020年までに2万人の博士を育成するという国家政策があり、日本にも多くの研究者育成を要請しており、2国間で協力に関わる覚書が交わされています。私の勤務する立命館大学でも理工学研究科で博士課程に留学生を受け入れていますが、ベトナムでは現在、高等教育に非常に力を入れており、もともと勤勉な国民性に加えて、このような情勢のなかで、祖国の発展と家族の生活向上のため、学生達は国家政策に応えて、必死に勉強しています。

私が参画した「ベトナム国ハノイ工科大学ITSS教育能力強化プロジェクト」は、将来のベトナムの産業界を支える高度IT技術者を輩出するために、工科系最高学府であるハノイ工科大学のなかに新しいITスクールを設置するというものです。プロジェクトでは先進のカリキュラムやプログラム開発、演習・研究方法について、教員をはじめとする教育研究者に指導・援助するとともに、施設設備整備のための数十億円規模の円借款を行っています。このなかで私はプロジェクト事務局長とITスクールの管理運営に関するJICA専門家としての役割を担いましたが、そこで、ベトナムのみならず日本の将来の技術者育成について多くの事を考えさせられました。

参照:http://www.jica.go.jp/vietnam/activities/project/02.html

ハノイ工科大学電子図書館(プロジェクト事務局がある)

私がこのプロジェクトで最も印象に残ったのは、ベトナム人学生と日本人学生の取り組み姿勢の違いです。このITスクールの学生は、確かにベトナムでも最難関の入学試験を突破した優秀な学生ですが、そのハングリー精神には驚かされます。亜熱帯に位置する関係で授業は朝の6時から始まり、2時間の昼休憩(暑いので昼寝をする)を挟んで夕刻までありますが、真剣に授業に望み、その後もほとんどの学生が図書館に残って夜遅くまで勉強をしています。

私が授業を参観して驚いたのは、Cプログラミングの授業でした。大学のコンピュータ設備は円借款により整備されていますが、自分でコンピュータを持っていない学生は、その時間が勝負ですから私語をしないのは言うまでも無く、一心不乱にコンピュータに向かって与えられた課題をこなしていきます。その日の課題は事前に判っているため、予め机上でプログラミングを行いノートにびっしりとソースコードを書いてきていることには正直関心させられました。私が話を聞いた学生は睡眠時間が毎日2-3時間と言っていましたが、皆が本気で勉強しています。そして、多くの学生が卒業したら欧米や日本に留学し、大学院を出て、欧米や日本の企業に就職し、将来的には祖国で起業したいと考えています。

ハノイ工科大学ITスクール授業風景(白いシャツが筆者)

ベトナムの人口は8600万人ほどですが、実に人口の70%が30歳以下という人口構成から考えて、若者の人口で言えば日本を凌いでいることになります。こうした国で教育力・研究力が高まれば近い将来、大きな成長を遂げるのは容易に想像がつきます。私はこのプロジェクトに参画して、とてもやりがいのある仕事をさせて頂いているという達成感と共に、現在の日本人学生の実態を知る者として、科学技術立国日本の将来について些かの不安を感じたのでした。正直、現地での仕事を終えてホテルで休む前に酒を呑みながら、私はこの仕事をしていて良いのか、それより日本での仕事に注力すべきでは無いのかと疑問を感じたことさえありました。しかし、日本における技術者育成の課題は当然のことながら克服し、成果を高めていかなければならないのですが、昔のように日本が一人勝ちをするという時代ではなく、グローバリゼーションのなかで、アジアの中の日本という視点を強く持ちつつ、そのなかで日本がリーダーシップや役割を発揮し、共存共栄の道を探っていく必要があると強く実感しています。その意味において、技術者育成や産業の国際的協業のあり方を真剣に考え、実践していくべきではないでしょうか?

次回は中国の事情についてご紹介したいと思います。