H40年卒のOB短信

近況・満80歳に思う
~筋トレとライフワーク継続で活力がみなぎる~
ストレージアナリスト 堀内義章(D40年卒)

 今年の8月25日で満80歳になる。自分自身実感はなく、ここまで生きれるとは思ってもいなく、幸い持病はあるものの、まだ週に1回テニスがやれる程度に動けていて元気で日常生活を続けている。大学を卒業して56年、会社をリタイアして20年。でも幸いにストレージの世界では、ストレージアナリストの名称で、学会への招待講演や、専門機関での年1回の「世界経済とストレージ、HDDの業界展望」を現在でも発表・継続している。ライフワークにしている専門の磁気記録を始めて56年目になる。

 振り返ってみると、入社1年目から積極的に活動を続け、その中で基本にしているのが
1)人の悪口を言わない 2)人と比較しない 3)何事にも前向き、くよくよしない
4)好奇心旺盛 5)知らない分野への挑戦 6)筋力をつけるストレッチ継続 7)読書を続ける 8)ボランティア活動 9)本音で話す 10)海外100カ国は訪問する
を基本にして、現在も積極的に進めている。今の生活ベースは
1)ライフワークである専門のストレージのマーケティング(新聞4紙<日経、朝日、電波、大阪日日>の購入と図書館へ専門2紙調査<日刊工業、日経産業>)
2)ボランティア活動(海外ボランティア・パプアニューギニア、災害復旧支援ダッシュ隊、民博ミュージアム・パートナーズ<国立民族学博物館>)
3)運動(毎朝晩の自宅での筋トレ、週1回のテニス、1日平均1万歩)
4)読書(基本は年間400冊、近くにサダ図書館)
5)海外100カ国の訪問(現在、85カ国)
6)過去の写真、年間活動ファイルの整理、手帳での年間活動記録のまとめ
7)絵画、茶道具、美術全書とうの整理と室内の不良品の破棄
8)過去に過去に書き溜めた随筆などの一括まとめ
9)遺産としての整理と、後継者への移管準備
10)一応、最低90歳、最大で100歳までのプラン
などを中心に、80歳から有終の美を飾れる店じまいの準備段階に入ろうと思っている。

 そこで、簡単に私の企業生活とリタイア後について整理してみます。

 1965年(昭和40年)に三洋電機(株)に入社、約3カ月の向上実習を終えて、中央研究所に配属された。配属先は磁性材料の研究室で、将来のVTR用材料の開発をテーマとして、先ずは、多結晶でNi-Ziフェライト、Mn-Znフェライトを開発。この時、研究室で焼成炉まで自作した。そして初めてMn-Znフェライト多結晶とセンダストを組み合わせた複合型のビデオヘッドを開発し、工業用VTRに搭載、1970年の吹田の大阪万博に出展し、無事動作した。この時、サンヨー館で人間洗濯機が出されたのは、今でも語り草になっている。7年間の研究所での開発を終え、事業部へ移管し、3年間の量産試作の後に、事業化に成功している。その後、単結晶フェライトの開発やVコード、オープンリール型VTR、ベータVTR、VHS・VTR、8ミリビデオ用の磁気ヘッドを開発・生産導入を果たした。その間にVHS用ドラムの開発、8ミリドラムの開発も行い生産に導入している。また、高周波に対応するために単結晶フェライトのギャップ付近に金属(センダスト)を付着させたMIG(メタル・イン・ギャップ)も開発し、ちょうど1990年代は、まだHDDが50MBの時代だったので、MIGでHDD用ヘッドに参入、その後、MR(Magnetic Resistance)やGMR(Giant Magnetic Resistance)に参入している。HDD関連のヘッドになるとどちらかといえば、マーケティングを中心に、対外折衝が多くなった。途中、VTRを製造している事業部から部品専用の部品事業部へ変わり、磁気ヘッド外販事業にゼロかたら着手し、多いときで市場の60%のシェアを取ったこともある。幸いに、会社にいる間は、一つの専門分野を続けられたことが、リタイア後も外部との人間関係の構築ができ、現状の続いている要因になっています。特に、IDEMA JAPAN(HDD協会)の理事を2年間(途中で三洋が、HDDヘッドからの撤退)行い、さらに現状では理事待遇で、協賛会員として理事会にも現状でも参加しています。また会社にいる間に、多くの対外人脈ができたことは、リタイア後にも大きく影響しています。

 リタイア後には、2年目に個人事務所HORI Technoloy Officeを開設して、専門のストレージマーケティングを中心に活動。講演や寄稿、毎月・ストレージの情報発信を続けている。 社外人脈は、多くの協会・団体へ参加して活動することで貢献しています。まずは、(一社)南太平洋協会(副理事長)は、オセアニア14カ国を支援する会で、特にパプアニューニアには12回、2週間電気も風呂もトイレもないジャングルで現地支援をしています。また、協会から出している旧暦カレンダーは、日本人の季節感を味合うのにぴったりのカレンダーでこの普及に努めています。災害復旧支援ダッシュ隊は、2011年の東日本大震災の時に発足した会で、今年10年目を迎えています。主に東北、茨城、琵琶湖、和歌山、岡山、福岡、熊本などに災害支援で出動しています。民博ミュージアムパートナーズ(MMP)は、吹田にある国立民族学博物館のボランティアで、2007年に予算取れる団体として発足に尽力し、現状も細々ながら継続しています。世界の民族学の地の終結です。他に、大阪工業大学校友会の相談役や電子クラブの相談役も行っています。一方で、日本旅のペンクラブ(理事)も活動を続け、旅ペン関西部としてお世話をしています。その中で、「大阪日日新聞に「旅ペン関西部便り」を毎週掲載しており、その記事も担当しており、関西メンバーに執筆依頼をしています。さらに、月刊奈良には、年1回投稿、今年は9月号に掲載される予定。また、楽酒の会(現世話人)も約50名の会員で、毎月1回、日本酒を4~5種類味わっています。今コロナ感染で中断していますが、すでに169回を開催しました。日本の伝統での茶道は、24歳から7年間稽古に通い、現在では初釜やお茶会に顔を出す程度ですが、毎月の自宅で月初めにお菓子と抹茶を頂いています。週1回のテニスと年に何回か昔のテニス仲間が集まり、人的交流を続け、仲間が丹波に黒豆の畑を持っているので、毎年10月後半に丹波へ行き、黒豆刈りをします。その他、専門ではIDEMA JAPANの協賛会員(理事待遇)で、年間計画や理事会に参加して、会を盛り立ています。海外は旅行や仕事も含めて85カ国を訪問し、今後100カ国を目指しています(今コロナ感染拡大で海外には出れないが)。読書は年間400冊目安で、ジャンルを問わず、乱読しています。幸いに近くに蹉跎図書館(駅に行くまでの途中)があり、新刊本が多いので、大いに活用しています。

 何せ、死ぬ時期が不明なので、いつ突然どうなるかは不明。80歳を超すと、色んな機能が落ちてくるので、覚悟をしながら、毎日を悔いなく過ごすのが一番。この歳になって、生き方云々ではなく、今後どう社会に貢献しながら生きていけるかが課題で、いつも社会にお返しする積りで行動している。ただ今、言えることは、専門で博士号をとるならば、若いときに研究成果をすぐまとめることが重要。筆者もビデオヘッドの開発をまとめようと思っていたが、すでにVTRが消えゆく技術、次のHDDも大容量は残るが一般的メモリはフラッシュメモリやSSD(ソリッド・ステート・シリコン)にとって代わろうとしているので、最先端の時にまとめるのがいい。技術の進歩は早いので。若い人は、体力をつけることと生涯のライフワークを持つことが重要。実際にリタイアしてからの人生が勝負になる。だた、忠告したいのは、最近はコロナ感染拡大のために、在宅勤務やリモート会議が増え、人同士の折衝が大幅に減少しています。しかし、人間はアナログ。人と人との対面接触は、話し方、動作、声の調子や表情で読み取れるもので、感情、つまりテレパシーは、多分人間でないと不可能だと思えるので、科学技術が進歩してもフェース・ツー・フェースは必要で、人間としての存在感を示せるものです。筆者は、幸いに茶道を若いときにみっちりやったので、その精神が、今生かされています。

 従って、80歳を機に、今後は
1) 今まで経験したノウハウを、社会へのお返しすること
2) 90~100歳へ向かっての店じまいの準備で、モノを整理して廃棄していくこと
3) 専門や過去に書いて随筆をまとめ、一冊の本にすること
4) 過去多く撮った写真整理と処分
5) 健康維持のためのテニス、朝晩の筋トレ・ストレッチ、ウオーキングの継続
6) 各会へのお世話(日本旅のペンクラブ、楽酒の会、L&L21親睦会、蝮会<テニス>、あこがれG、IDEMA JAPAN、各種お茶会、
7) アルトサックスのマスター
8) 世界100カ国訪問
9) 小説を書くこと
10)読書の継続(年間400冊)

などを目標に、更にチャレンジしていく積りである。

〇堀内義章への意見・問い合わせ先:yhoriuchi@datagate.jp 090-8532-7533

堀内義章
1941年8月25日生まれ、東京生まれの九州育ち(福岡・飯塚)。1965年大阪工業大学卒、日本大学大学院国際情報研究科修士修了、京都創政塾卒(政治家を育てる会)。三洋電機(株)中央研究所入社。2001年定年退職後、個人事務所「HORI Technology Office」設立。マーケティングを中心に各種レポート発表中。専門は磁気記録(VTRヘッド、ドラム、HDDヘッドマーケティング)。大阪工業大学校友会参与・電子クラブ相談役、(一社)南太平洋協会・副理事長、日本旅のペンクラブ・理事、IDEMA JAPAN・協賛会員、(一社)災害復旧支援ダッシュ隊・会員
(作成:2021年8月3日)