H7年 (1995年)卒のOB短信

梅田裕香さん

私は高校生の時、超電導に興味を持ち、リニアモーターカーに憧れて大阪工業大学電子工学科へ進学しました。元々理系でしたし、女性が少ない等の不安や不便さも全く気にしていませんでした。しかし女子トイレが各棟に1つしかない。購買部では男性のものしか売っていない。など予想外の面白さでした。移動するときはまずトイレの場所を気にして覚えておく、など今思い出したら笑ってしまいます。

電子工学実験ではレポートの担当になると、図書館で関わったこともないようなジャンルの本を探して読み漁ったり、またそれなりに理解できていけたり。学校生活では周りの人と話してなんとなく友達になっていけたり、いろんな物事に接することで大変勉強になりました。卒業研究では3次元CGの作成を行い、研究室では失敗と成功の繰り返しで、粘り強さと根性をみっちり叩き込まれました。

卒業後、入学時の思いとは全く異なる業種へ就職しました。Oracleのオープン系システムの開発で、技術的にも人間的にも鍛えられました。PL/SQL、Dveloper2000を使える技術者は少なく、リリース後の不具合対応のプロジェクトに参画することが多かったです。学生時代に鍛えられた根性で、一人で夜間バッチの監視、納期間近の徹夜、上へのスケジュール見直し提案なども行いました。なんといっても「大阪工業大学」という看板が大きな力になりました。所詮女性という見方が多いので、実績、知名度を上げてもなかなか耳を傾けてはもらえません。「え、大工大ですか?」という言葉を何度も聞きました。どうしても見た目だけでは技術力が分からないし、現場で泣く、投げ出す人を私も見てきましたから仕方ありません。

現在は主婦です。3年ほど前に退職しました。会社からは家庭との両立を望まれましたが、仕事をセーブして続けるということに納得がいかず、退職することにしました。自分の中で完全にやりきった気持ちなので悔いは全くありません。今までとは違う生活を送るうちに、仕事は完全に過去のものになりました。

年齢を重ねても未経験なことは数多くあります。いい機会だから主婦でしかできないことをしています。自治会の役員をしたり、PTAの学級委員長をしてみたり。パワーポイントでスライドを作るのも、仕事でパソコンを使っていたので何となく作れますが、「何でできるの?」が普通の感覚のようです。周りの人との会話で、少し自分が違う世界にいたんだなと感じることが多いです。仕事は在宅で中学生の模擬テストの採点をしています。端末上で行うのでペーパーレスです。これもまた楽しいです。

今の一番の楽しみはパピーウォーカーです。盲導犬の子供を預かって育てています。以前は興味もなかったことに今は興味をもっている。不思議な自分がいます。今までの経験が無駄になることは一つもありません。私は大阪工業大学で勉強して本当によかったです。こうして大学とまたつながることができて大変うれしく思っています。