S45年(1970年)卒のOB短信

小泉 博 さん
[1970年の大阪万博の年に毎日放送に入社]

私は昭和45年(1970年)の卒業ですから47年経っています。この年は吹田で大阪万博が開かれ、世は万博景気と言われて就職も好調で、私は千里丘の毎日放送に技術職として入社しました。もう退職して6年ほどになりますが、放送局の技術職には大きく分けて2種類ありました。一つは放送や送信などを担当する純技術です。番組やコマーシャルなどを番組表にそって間違いなく正確に送出し送信所から各家庭に届けます。今はめっきり見なくなりましたが、当時は機器が不安定で放送が途切れたり番組が不体裁になる放送事故は度々あって「しばらくお待ちください」というテロップがよく出ていました。担当者はその都度心臓が止まる思いで復旧していたものです。

もう一つは番組を作る技術で制作技術といいます。カメラマンや音声ミキサー、照明や編集などスタジオや中継現場で番組を作ります。意外に思われるかも知れませんが、これらの担当者はすべて電気・電子出身の技術者なのです。カメラや音声機器や編集機などはすべて電気機器で、取扱いはデリケートで不安定なものでよく故障しましたし、修理もしなければなりませんので電気技術者でなければ使いこなせなかったのです。

 

[テレビカメラマン]

私の趣味はカメラでしたのでカメラマンを希望し若いころはテレビカメラマンをしていました。ところが番組はすべてのジャンルを担当します。ドラマ、バラェティー、スポーツ中継、報道、当時はクイズ番組や歌番組も盛んでした。歌番組ではカメラワークのため前奏や間奏が何小節あるかカウントしなければなりません。私は音楽やスポーツには疎かったためイントロという言葉もわかりませんでした。当時はカラオケというものもなかったのです。スポーツ番組では野球であれゴルフ、ラグビー、バレーボールなど何でもルールを知らなければなりません。あたりまえですが理解できないものは撮影できないのです。したがって制作技術では広く浅くなんでもある程度知っておく必要がありました。

 

[ドラマ制作は重労働]

毎日放送ではドラマも盛んに制作していました。ドラマの撮影は深夜に及んだり徹夜になるのもめずらしくなくて、作業はかなり厳しいものでした。スタジオにはドラマセットを建てて撮影しますが、セットの家はスタジオの床に打ち付けることができません。スタジオの床に置いてあるだけです。台所でヒロインがショックを受けて、洗っていた茶碗を落として割るというシーンはよくあります。ところが、本番では「ボコッ」という音がして何度落としても割れません。部屋の床が台に乗っているだけなので割れないのです。結局皿を2枚重ねて落としてやっと割れました。

役者さんもいろんな人がいますが、現場のスタッフに撮影のテクニックやコツを教えたがる人もいます。時代劇である大物俳優が店から出てきて、店先で待っている町駕籠に乗って去っていくシーンがありました。そこでテクニックを教えてくれるのですが、考えてみますと今本物の駕籠屋さんはいません。駕籠を担ぐのは役者さんです。町駕籠ですから前と後ろの二人でお客一人を乗せて担ぐのです。どうしてもヨタヨタと担いでいく様になります。そこで、店から出てきて駕籠に乗り「駕籠屋さんやっとくれ」と言って御簾(駕籠ののれん)を下し、駕籠屋さんが「ヘイ」と言って担ぐ間に反対側からスルリと降りてカメラに映らないほうに隠れました。空駕籠は「エイホ、エイホ」と客を乗せた体で去っていきました。このような役者さんを我々は「スタッフ役者」と呼んでいます。

 

[NG集 役者やスタッフは必死]

役者さんが言うには、「セリフを覚えなくてもよかったら」こんな楽な仕事はないといいます。

意外にも名前が覚えにくいそうです。覚えにくいというよりも忘れやすいのでしょうか。普通のセリフは前後の文脈があって想像できる部分もあるが、名前は思い出せなければそれっきりです。本番で逃げる犯人に向かって「コラ待て!溝上」と自分の役の名前を叫んでNGになることもよくあります。

あるドラマで主人公の大会社のワンマン社長がガンに侵され余命幾ばくもないことになりました。そこで、関係者一同を呼び集めて遺産相続を言い渡すシーンがありました。そこには妻と子ども達以外に、別れた女や妾やその子供達、おまけに強欲な親戚など大勢が詰めかけています。大詰めの大変重要な長いシーンで、ほとんどが社長の長セリフです。社長役の役者さんは心配で横に控えさせている顧問弁護士役の役者さんに「名前が出なかったら助けてね」と助っ人を頼んでいました。

さて、本番です。「長男の隆に株券を…」「次男の正には○○の土地を…」つぎに「長女のあー…」

すかさず弁護士が「春子さま!」、ああ「春子には現金○○円」となんとか全員の遺産相続言い渡して長いシーンが終わりかけたときに「あー… う… …」、と絶句。一同「??」、社長「俺の名前忘れた!」 弁護士「それは言えないよ」一同ずっこけて最初からやり直しになりました。

ところで、ドラマの撮影が終了したとき打ち上げ懇親会が開かれます。そのときVTRに収録されている失敗のNG場面を皆で見て、改めて大笑いをして楽しんでいました。当然その後NG収録分は破棄していました。それらずっとあとになって、他局ですが失敗場面のVTRを集めてNG集とした番組が現れ好評を得ていました。アイデアとはこんなところにあるのでしょうか。皆が捨てていたものを使って番組を作った人は、ほんとうに偉い人だと思っています。

以上放送局のほんの一部を紹介させていただきました。好きでしていた仕事でしたので、いろんな経験ができておもしろい世界でした。 もう飽きましたけど!