S61年(1986年)卒のOB短信

第55次日本南極地域観測隊(JARE55) 越冬隊通信担当
久保田 弘 (KUBOTA Hiroshi)

 皆さま、はじめまして。

大阪工業大学工学部電子工学科を昭和61年に卒業した久保田弘と申します。
現在は、総務省近畿総合通信局で情報通信行政(ICT政策)の仕事をしています。

昭和基地・19広場にて
昭和基地・19広場にて

私は、平成25年11月から平成27年3月までの約1年4か月間、第55次日本南極地域観測隊(JARE55) 越冬隊通信担当として、南極・昭和基地に赴任しておりました。

このたび、OB短信執筆の御依頼をいただきましたので、その当時の体験を振り返ってみたいと存じます。

日本南極地域観測隊
日本南極地域観測隊

昭和基地は、日本からおよそ1万4千キロメートルも離れています。緯度経度で表すと南緯69度、東経40度付近に位置します。ちょうどサウジアラビアやエチオピアの真南に当たります。昭和基地時間は、日本時間よりも6時間遅れています。

 

昭和基地は南極大陸にあるのではなく、大陸から4キロメートルほど離れた「東オングル島」という東西約3キロメートル、南北約2キロメートルの小さな島にあります。

昭和基地は南半球にあるため、日本とは季節が逆です。いまは1月ですので、昭和基地の季節は真夏です。

昭和基地の平均気温は、8月が最も低くてマイナス20度ぐらいです。反対に最も高いのは1月ですが、それでもマイナス1度ぐらいです。12月頃から翌年2月頃にかけては最高気温が零度を超える日がありますので、降り積もった雪が少しずつ融けだします。

これまでに昭和基地で観測した最低気温は、マイナス45.3度です。ちなみに、昭和基地から約1,000キロメートル離れたところにあるドームふじ基地では、標高が3,810メートルもあるため、マイナス79.7度を観測したことがあります。湿度は一年を通じて低いのですが、厳冬期には特に乾燥しています。夕食後に洗濯した衣類を室内に干しておくと、翌朝にはすっかり乾いています。

人間の活動がほとんど行われない南極は、地球環境を正確に観測することができる地球上でも貴重な場所です。

南極を研究する科学者は、さまざまな自然現象を通して、地球環境の過去を知り、未来を予測しようとしています。

南極地域観測は、国際協力の下に日本国が実施する事業の一つです。

事業の遂行に当たっては、極地科学に関する研究や観測及び業務に関係する複数の機関が担当分野の責任を負い、文部科学省に置かれている南極地域観測統合推進本部が省庁横断的にそれらを統合推進する責任を負っています。

日本における南極地域観測は、昭和32年(1957年)に南極大陸リュツォ・ホルム湾にある東オングル島に昭和基地建設を決めて以来、60年以上にわたって実施されてきました。

また、世界的な観測網の拠点として、定常的な気象観測の継続実施やオゾンホールの発見、研究プロジェクトとしての月隕石・火星隕石を含む世界最多級の隕石の採取、氷床掘削で得た氷床コアの解析による過去数十万年にわたる気候変動の解明及び生態系や大気中の二酸化炭素量のモニタリングによる環境変動の研究など多くの観測研究の成果を上げています。

私が参加した第55次観測隊では、24名の越冬隊員が昭和基地の維持運営の任務に就いていました。

越冬隊員は、大きく観測系の隊員と設営系の隊員に分けることができます。観測系の隊員は、電離層や気象、地磁気、オーロラなどの各種観測を行っています。設営系の隊員は、通信のほか、機械、建築・土木、調理、医療、環境保全、庶務・情報発信などの業務を行っています。

隊員の選考は、出発する前年の11月頃から始まります。また、隊員は、主として関係機関や研究組織から推薦を受けた人のなかから書類審査、面接、健康判定などの選考によって選ばれます。隊員のなかでも、医療隊員や調理隊員などは、一般公募で選ばれています。

昭和基地無線局の通信卓
昭和基地無線局の通信卓

隊員に求められるものとしては、専門的な知識・経験を持った「その道のプロ」であることはもちろんですが、心身ともに健康で協調性があり、また、歴史ある国家事業に従事する観測隊員としての自覚と責任を持てることが重要です。

通信担当の主な仕事としては、無線通信の宰領、無線設備の保守、電報の取扱いなどがあります。

越冬隊には通信担当が一人しかいませんので、通信に関することは、全て私が責任を持って行わなければなりません。(ただし、LAN及びインテルサット衛星通信システムについては、専任の隊員が別にいます。)

特に無線設備が故障したときには、迅速な対応が求められますので、気が休まるときがありません。

また、限られた人数で基地を維持運営していかなければなりませんので、通信の仕事以外に除雪や建築・土木工事、車輌整備、各種観測の補助などの仕事も行います。さらに、風呂やトイレなどの共用部分の清掃、調理の補助、散髪なども交替で行っています。

昭和基地における通信には、(1)日本国内との通信、(2)野外観測チームとの通信、(3)基地及びその周辺における作業連絡用の通信、(4)南極観測船しらせや観測用ヘリコプターとの通信、(5)外国基地との通信などがあります。

インマルサット衛星通信システムの修理作業
インマルサット衛星通信システムの修理作業

通信する相手との距離や目的によって、HF(短波帯)無線、VHF(超短波帯)無線、UHF(極超短波帯)無線、インテルサット衛星通信システム、イリジウム衛星携帯電話などの無線設備を使い分けています。

第1次観測隊が昭和基地で越冬を開始して以来長い間、隊員が日本にいる家族と連絡をとる唯一の手段がモールス通信による電報でした。

これを大きく変えたのが、昭和56年(1981年)に第22次観測隊が持ち込んだインマルサット衛星通信システムでした。これによって、電話やファクシミリなどで、簡単に日本国内と連絡できるようになりました。

さらに、平成16年(2004年)に導入されたインテルサット衛星通信システムによって、インターネットの常時接続が可能になりました。現在の昭和基地では、インターネットは、仕事に、また家族との連絡に欠かすことのできない存在になっています。

私が昭和基地に到着した当初は、通信の内容を一言も聞き漏らすまいと非常に緊張して通信を行っておりましたが、越冬終盤近くになると、さすがに落ち着いて通信できる余裕が出てきました。人間の慣れとは恐ろしいものですね。

波帯送信機の定期点検作業
2kW短波帯送信機の定期点検作業

越冬中、無線設備の故障も相次ぎました。車載型・携帯型無線機をはじめインマルサット衛星通信設備、短波帯送信機、ロンビックアンテナなどの故障には相当悩まされました。しかし、苦労して修理できたときの感激はいまでも忘れることができません。

仕事以外では、野生のペンギンやアザラシとの遭遇、そしてオーロラ、白夜、極夜、ブリザードなど通常では滅多に体験できないことをたくさん体験することができました。

昭和基地での生活は、楽しいこともたくさんありましたが、その一方で辛いこと、しんどいこともたくさんありました。瞼(まぶた)を閉じれば一つ一つの出来事がまるで走馬灯のようによみがえってきます。

ユーモラスなアデリーペンギン
ユーモラスなアデリーペンギン

大きな怪我や病気をすることもなく無事に任務を遂行できましたのも、ひとえに国内で支えていただきました多くの皆さまのおかげです。お陰さまで、第54次観測隊から託された通信隊員の襷(たすき)をなんとか第56次観測隊につなぐことができました。この場をお借りしてお礼申し上げます。本当にありがとうございました。

ウェッデルアザラシ
ウェッデルアザラシ

私は、これまで校友会活動にはあまり参加しておりませんでしたが、日本南極地域観測隊に参加したことが御縁となり、平成30年10月に常翔学園校友会(旧大阪工業大学学園校友会)関東支部と広島国際大学校友会関東支部とで構成する「東芳会」の第57回総会において、「日本の南極地域観測と南極通信事情 ~日本南極地域観測隊に参加して~」というテーマでお話させていただきました。

これからは、少しずつでも校友会活動に参加させていただきたいと存じますので、よろしくお願いいたします。

満天の星空とオーロラ
満天の星空とオーロラ

皆さまには、もっともっとお伝えしたいことがあるのですが、OB短信では十分にお伝えすることができません。国立極地研究所のWebサイトに「南極観測のホームページ」があります。興味のある方は、是非御覧になってみてください。南極観測のことをより詳しく知っていただけることでしょう。

国立極地研究所 南極観測のホームページ
https://www.nipr.ac.jp/jare/